日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎聖地巡礼の仕度で聖天院に(3/17前半)

聖地巡礼の仕度で聖天院に(3/17前半)

 三月十七日の朝になり、「体調が良ければ、明日秩父に行こう」と思い立った。

 目的は小鹿野の聖地訪問で、あの女児に会うためだ。

 だが、先週以来、私の周囲は加なら騒がしくなっているので、身を軽くして置く必要がある。そこで聖天院に参詣することにした。

 お焼香をして慰めれば、少しは軽くなる。それぞれに向き不向きや好き嫌いがあり、色んな性格・方向性を持った寺社・神社を訪れる必要があるから、あかなかやっかいだ。

 このお寺になかなか来られぬのは、急な階段が百数十段あり、腎臓に難のある者には体調の良い時でなければ登れない。途中で断念し、引き返すことも時々ある。

 入り口の六地蔵でお焼香をし、最初の階段を上がって、小休止。その後も階段を上るごとに休憩を取った。心臓の方は何ともなかったが、膝が笑った。これは運動不足とトシのせいだ。

 本堂の前でお焼香をし、まずは父母が安らかに自我を解放してくれることを願った。

 「子や孫は自分たちで何とかするから、振り返らずどんどん先に進んでください」

 早いとこ生まれ替わって、また会いましょう。

 「それと、後ろについて来ている者はここで降りて貰いますので、宜しく引き取って下さい」

 どのくらいいるか分からぬほどだし、それ以前に今の私は数十万の亡者の群れの中にいる。その中には当然悪意を持つ者も混じっているから、私自身もかなりヤバい状況だ。

 社務所の前を通ると、ガラス窓が眼に入った。そこで自分の姿を目にしたが、例によってそこでヒヤッとした。そういう時には写真を撮り置く習慣なので、とりあえずその場で撮影した。

 境内の奥にトイレと休憩所があるので、ベンチに座り周囲を眺めた。

 この境内には清浄さがあり、心が落ち着く。

 そこで先ほどの画像を点検すると、予想通りのことが起きていた。

 もう一度、ガラス窓の前で撮影し、お寺を出た。(後半に続く。)