日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎四次元ポケット(607)

f:id:seiichiconan:20211013193634j:plain
f:id:seiichiconan:20211013193624j:plain
f:id:seiichiconan:20211013193614j:plain
f:id:seiichiconan:20211013193603j:plain
f:id:seiichiconan:20211013193555j:plain
f:id:seiichiconan:20211013193545j:plain
f:id:seiichiconan:20211013193535j:plain
令和三年十月十三日撮影。

◎四次元ポケット(607)

 お寺を二か所ほどお参りしたら、肩の重さが取れた。

 「ありゃ。良い感じじゃないか」

 この日は所用で外出したが、帰路に神社に立ち寄って確かめることにした。

 この体の軽さなら、スパッと何も無くなっている筈だ。

 

 この日は小雨模様で、参拝客が少ない。

 好きな位置から撮影出来たが、やはり何事も無かった。

 十月桜が控え目に咲き始めているし、申し分ない。

 

 帰路、私と縁のある地のひとつに立ち寄った。ここは産直兼温泉施設だ。

 ガラス戸のかなり前で撮影したが、うっすらと煙玉が出ている。

 TPOが合わず不鮮明だが、幾度も見ているのですぐにそれと分かる。

 このところ具合が悪かった箇所に集まっているから、一所懸命に改善してくれているようだ。

 (もちろん、「想像や妄想」だが、つい数日前までは「白い煙玉」ではなく「黒玉」だった。)

 

 先週から今週の検査結果は、いずれも「シロ」だ。逆に、何故あれほど苦しんだのか原因が分からない。医師は「分からない」と言うが、私は分かっている。

 階段の灯りが、私が通る時だけ消えてしまう事態が始まった時から、体調が著しく悪化したのだから。それなら、どんな鈍感な者でも気が付く。

 こういう感じの時は、お寺でご供養するのが近道だと経験的に知っている。だから、その直感に従って行動した。

 「母のご供養のために六地蔵にお焼香しよう」と思い立ったので、翌日にはその通りにしたまでのこと。自分自身のためではない。

 自分の病気のことなどは忘れているし、そもそもその改善を神仏に祈願したこともない。

 だが、「ほれこの通り」で、このひと月で初めて血圧が百三十台にまで下がった。

 つい二日前には二百の上下だった。

 

 人間の心には、自己免疫力を強化するためのスイッチがある。それを探し当てられれば、境遇や状況なりに、幾らか、あるいはもの凄く改善される。

 もちろん、そのスイッチは心の中にあるので、その人自身が探し当てる必要がある。

 「治してくれ」と幾ら願ってもあまり状況は変わらない。治すには「自分の何を改善すればよいのか」とあれこれ試すことで、糸口が見つかることがある。

 もしそれを見付けられれば、まるで四次元ポケットから万能器具を取り出すように、状況が改善される。

 

 さて、体力が三十五パーセントくらいまで戻ってきた模様で、これなら十分戦える。

 まだハンデがあるが、元々、ハンデの無い勝負など存在しない。自分なりの道を行けばいいさ。

 人事は自身で解決すべきことだから、一心にやり通すということ。

 

 追記)不動明王の前で日輪が入ったのだが、「これは日輪だが、日輪のようでないところもある」と思った。転機はその時だと思う。

 やはりお不動さまは当家の守護神で、御堂さまとも仲が良いようだ。

 当たり前のことだが、神格(人の姿)のようなものは無い。神はあくまで理念だ。

 しかし、今は私の背後の重苦しい気配がすっかり消えている。

 (もちろん、幾らでも寄って来るから、いずれ数日か数週間すればまた寄り付く。)