日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎まだうどんは食べられず(608)

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令和三年十月十五日撮影。

◎まだうどんは食べられず(608)

 先日、飯能の観音寺にお参りしたのだが、本堂のところで板階段を一二段ほど靴を履いたまま上がった気がした。神社のコンクリの階段の時と混同したかもしれぬ。

 そこで、改めてお詫び兼お焼香に行くことにした。

 ネットには「うどんの屋台の営業は金土日」と記してあったが、この日は金曜だ。

 お焼香の後にでも、うどんを食べよう。

 

 この日の六地蔵参りには、六文銭を持参した。

 御存じ、川の「渡し賃」で、亡者一体ずつでも、六地蔵に助けて貰おうと思ったのだ。

 ちなみに、東日本の各地にある神社やお寺で、古銭を撒いているが、もはや一万枚を超えているから、古銭を拾った人がいるかもしれん。

 神社では神殿の柱の根元や、周囲の斜面、木々の根元に撒いている。

 お寺ではばら撒くわけには行かぬので、供養錢として備えることが多い。

 静岡から青森までの範囲にある神社やお寺で、もし古銭を拾ったら、それは私の仕業だ。

 ちなみに、これは厄除け用ではないので、安心して拾ってよい。

 子どもたちが神社やお寺馴染んでくれるための一助になればよいと思ってこうしている。

 気が付いたら、杖なしで歩けている。

 ま、観音寺の場合は坂が無いから、私のような者でもお参りが容易だ。

 

 ところで、観音寺駐車場内でのうどんの営業は、今は土日だけのようだ(貼り紙あり)。

 やはりコロナの影響で、営業を自粛していたらしい。

 ネット情報が少し古かった、ということだ。

 

 帰路には確認のため、いつもの神社にも参拝した。

 別段、驚くようなことはない(ゼロではない)。

 

追記)どうやら峠は越えた。

 階段の灯りのスイッチを入れ、途中の踊り場まで行くと、そこで灯りが消える。

 上りはまだ大丈夫だが、降りる時に足元が見えなくなると、転げ落ちそうになる。

 これが起きるのは私だけで、家人や息子の時には何ともない。何もせずにいると、毎晩同じことが続く。

 まるでホラー映画のようだが、電気製品の異常は、現実に起きたりする。

 尤も、井戸から幽霊が出たり、二階から降りて来たりすることはない(笑)。

 あの世の者はそんな手間など掛けず、一瞬で右後ろに立っている。常時、後ろに人がいるような気がするから、かなり気持ちが悪い。

 要はあのバーサンは「自分の存在に気付いてくれ」と言っていたということ。

 

 ご供養を重ね、ようやく少しずつ消えて行った。

 調子が悪くなり、十日ほど無駄にしたので、人事の処理が大変だ。

 ちなみに、階段の灯りは、今は普通に点いている。電球なども前のままだ。