日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎母の命日が来る(488)

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三月十六日撮影

◎母の命日が来る(488)

 17日が母の命日なのだが、火曜は通院日なので、おそらくお寺には行けない。

 そこで前日の月曜にいずれかのお寺にお参りしようと考えた。

 せっかくなので、善行を施すべく、フルコ-スで一周し、迷っている魂があれば引き取ろうと考えるに至った。

 それなら、まずはN湖から。

 しかし、N湖に着くと、突然、強風が吹き始め、雨が落ちて来た。また、その雨はすぐに霙に変わった。

 お焼香をしたが、線香の火がすぐに消えてしまう。

 車が浮き上がりそうな強風なので当たり前だが、ここで死者を拾い上げるのを止めて、神社に直行した。

 霙の中を歩き、体を冷やすのは良くないので、ここは致し方ない。

 

 いつもの神社に着き、母を含め、亡くなった人たちの安寧を祈った。

 画像を開くと、私の手に異変が見える。

 カメラを持つ手の下に、もう一つの手が見えた。

 「ありゃ。また寄られたのか」

 そう思ったのだが、閥の画像の同じ位置を確かめると、変に見えたのは最初の一枚だけで、あとは普通だった。

 「となると、若干、ご都合主義だが、ここまで連れて来て、ここで放したと見る方が理屈に合うし、気分も良い」

 ま、他の画像でも、右手が長く見えるから、単なる気のせいかもしれんし。

 

 マスクのところに、顔が見えるような気がするが、それも最初の一枚だけだ。

 当初の目的の通り、「上手くご供養出来ている」と見なせば、かなり気が楽だ。

 私には悪意はなく、死した後もこの世に近いところに留まっている魂を救済したいだけ。もちろん、善意だからと言って、総て物事が上手く運ぶわけではなく、良かれと思って押し付けられたら、到底、善行とは言えない。

 この後はこの辺の加減を考える必要がありそうだ。

 

 母が亡くなったのは17日の早朝だったから、この後、その時間まで起きていて、ご供養をしようと思う。