◎スーパーで新高梨を買った
近所の人や病院の患者に配るために、スーパーで新高梨を買うことにした。
家人も周囲の教員に「日頃のお礼」として、「リンゴか梨を買う」そうだ。
当方は梨をひと箱買って車につけた。
車で待っていると、家人がやって来て、果物の箱を後ろに積んだ。どうやら同じ箱らしい。
助手席に乗ると、家人はダンナに「梨を幾らで買ったの?」と訊く。
「1999円。新高梨だが、二十世紀や長十郎はもう終わってるからな」
すると、家人はくすくすと笑い、「もしかすると私は999円で買ったかもしれないよ。レシートはどこだっけ?」と財布を検めている。
「そんなことはないだろ。六個入りサイズの新高梨だもの、ひとつ350円くらいはする。大体は二千円を少し超える」
家人はレシートを探すが、どうやら袋詰めの時に落としたらしい。
「箱で約千円じゃあ、一個が百五六十円という話だ。アリエネーよ」
「十月は神無月なそうだから、私はきっとツイてる。だからきっと安くして貰っている」
でも、バーコードでカウントしているから、値引きが反映されておらず、書いてある値段より高いことはよくあるが、安くなった験しは無い。
家人は「私だけサービスして貰った」と自慢げだ。
そんな筈は無いから、自分のレシートを検めることにした。
財布から出して調べると、あんれまあ、当方のも「999円」だった。
思わず、「こんなの。その場で気付かねーのか?」と自分を疑う瞬間だ。
ま、かごを渡してしまえば、あとはぼーっとしていることがほとんどだ。
「バーコードに登録する時に、担当の者が入力し間違えたか、あるいは、値札書きの方が間違っていたかのどっちかだな」
でも、大半は札に書いてある値段より、レジの方が高いことがほとんどだ。
しかも、いいトシのオヤジが「値引き分が反映されていない」と文句を言うのは格好が悪い。百円二百円のことで、レジの流れを止めるのも憚られる。ま、違っていても黙って払う。
もちろん、店を出る時には「何だよ」と少し腹を立てたりする。
「レジの時に、店員が打ち間違えたら、まあ普通は『それはいくらだよ』と訂正する。黙っていたら客の方がごまかしたような気分になるからだ。でもこういう場合はどうなんだろ。バ-コード通りだし」
少し考えたが、そのまま帰ることにした。
たぶん、手で書く値札よりも、バーコードのほうが正価だと思ったからだ。ワンクッションだけ人の手が少ない。
自分が商店育ちだから、つい店側の都合を考えてしまう。
この手のミスは、同じ系列の商品が一様に同じミスになるから、割合、欠損が膨らむ。
店員が熟練すると、ほとんど無くなるが、忙しい店だったり、開店仕立てだったりすると、時々起きる。
売り場の管理職がチェックするか、品質や値札のチェック担当の者を充てれば、ロスがかなり減ると思う。
ちなみに、時期的にまだ二十世紀や長十郎が残っていたりするので、新高梨は売れていなかった。箱が全然減っていない。
だが、「1999円の箱が実際は999円で買える」ことが知れたら、一瞬で売り切れると思う。
ここは開店したばかりだから、割と客が多いのだが、「これも集客の仕掛け?」かと思ってしまう。
ずっと「新高梨」のことを「シンコー梨」だと思っていたが、これは「ニイタカ梨」らしい。思い込んでいた理由は、別に「南高梨」という品種があるからだ。
さらに「ニイタカ」と聞くと、反射的に「ニイタカヤマノボレ」のことかと思ってしまうが、これも違う。(この場合の「新高山」は台湾の山だ。)
梨の「新高」は、新潟と高知の品種を掛け合わせたものだが、「ニイコー」では語呂が悪いので、「ニイタカ」になったようだ。
ちなみに、家人が「十月は神無月だから」と言った件は、前に私が「神無月には全国の神さまが出雲に集まる」から、「一年の中で最も幽霊が出やすいのは十月から十一月」という話をしたことがあったからだ。
私や家人は「どちらかと言えば、自分は魑魅魍魎の仲間のほう」という考えで一致する。