◎母の誕生日に(05)
十二月二十五日は亡き母の誕生日だった。
早朝、娘を駅まで送った後に、少し遠回りをして、八幡さまに参拝した。
お寺ではまだ境内に立ち入るのは早すぎるためだ。
冬でかなり日が短い時だから、六時台だとまだ暗い。
ガラスがあると自分を映して眺めるのが習慣になっているので、いつも通り撮影したが、やはり薄暗くて景色がほとんど見えない。
いいねえ。何もない平凡な暮らしほど素晴らしいものはない。
ま、朝もやとは違う煙が私の周りに出るのだが、これはいつも通り。昼夜の二時三時なら煙玉も出る。それに加えて、たぶん、他の人よりも頻繁に「自分に抱き付く幽霊」の姿が画像に残る。これはもう仕方がない。これが私固有の環境だ。
画像に「ちょっとした変化」について記したが、これは社務所の女性が掃除をしていたのに、姿が見えぬことだった。
私のすぐ右後ろにいたのだが。
ま、女性を隠した「何か」は、たぶん、私だったのだろう。きっと真後ろにいると思う。
他ははっきりしないが、朝の方が雑音が少ないことに気が付いた。
早朝に神社に参拝する人が割合いるが、祈願をするにはこの時間帯がよさそうだ。
これが神社の外にいる悪縁に頼みごとをするなら「丑三つ時」と相場が決まっている。
母はこんなロクデナシの息子を最後まで案じてくれた。
これからささやかなご馳走を支度して、母に供えようと思う。
追記)とりあえず、この日の収穫は「二月頃にもまだ生きている」見通しが立ったことだ。感染でしくじらねば、春を迎えられる。これは過去六年くらいの間で初めてのこと。毎年のように十月頃と二月頃に危機が来て、「程なくこの世とオサラバ」と覚悟する事態になっている。