日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎死ぬまでにやっておきたかった十のこと

死ぬまでにやっておきたかった十のこと

 さっき、「盛岡さんさ踊りは四日まで」と言う記事を見て思い出した。

 「死ぬまでにやっておきたい」ことだったが、既に出来なくなった。

 

◎盛岡のさんさ踊りで勝手に踊る

 盛岡のさんさ踊りは、出場チームが決まっており、登録した者でないと中央では踊れない。

 でも、チームごとの行進には切れ目があるから、そこに「勝手に割り込んで行って、わやわや踊る」。

 もちろん、なるべく迷惑をかけぬのが基本だ。

 

 青森弘前のねぶた・ねぷたの方は簡単にやれそうで、実際、「一緒に跳ねて来た」という者がいるから、狙いは盛岡だな。

 なるべく迷惑をかけぬように、そっくりな風体で潜り込む。

 

 あるいは、勝手に山車まで作ってしまう、とか。

 

 正攻法なら、自分の郷里に昭和四十年代まであった祭りを復興させる手なのだが、そんなのは地元に住まねば出来ない。

 秋祭りの時には、きちんと山車が出て、子どもたちが太鼓を叩いていたが、出稼ぎで若者が居なくなり途絶えてしまった。

 山の中なのに今も盛大に祭りを行う代表例は、葛巻町二戸市だ。どうやって運営を保持しているのだろう。

 

 埼玉の我が街にも、夏祭りがあり、秋の例大祭もあるが、世代交代がうまく行かず、風前の灯だ。コロナを契機に止めたままになるかもしれん。

 助力したいところだが、この地の神さま(地社)は稲荷で、当方は稲荷と相性が悪いので、鳥居の傍に寄っただけで具合が悪くなってしまう。

 眩暈がして椅子に座るのだが、傍から見ると怠けているように見える。実際には「立っていられない」が現実だ。よって、一切出ないことにしている。不義理をするが、命あっての物種だ。

 

相撲大会に出る

 もうひとつは郷里の神社の「奉納相撲大会に出る」だった。

 これも昭和の時で廃れたと思うが、神社のお祭りの時に夕方から相撲大会が開かれた。

 出るのは農家や大工左官、工事で働く人たちだから、筋肉がもの凄い。だが、相撲は柔道と違い、体重差による有利不利があまりないから、小兵の者でも大会に出ていた。

 

 曲者揃いの我が一族は、内無双が伝統の技で、これが決まると大男を一瞬で倒せる。高校生くらいまで父や叔父と相撲を取ったが、時々、五十台の父にこの内無双で転がされた。

 上の叔父が既に四十台の時に、二十台の若者が出ているこの大会に平然と出ていた。さすがにやっぱり勝てなかったのだが、父によると「元々、口ばかり達者で相撲は弱い」とのこと。

 それなら、「出よう」と思い、実際に「出た」のはスゴイ。

 殆どの人間は功利的に考えて、勝てそうもない勝負には出ずに傍であれこれ言うだけ。

 叔父は変わり者で曲者だったが、「実際にやって見せる」という点では人後に落ちぬ面があった。

 「ほぼ負ける」勝負だが、一縷のチャンスはある。最初から放棄せず、挑戦してみて、やはり負けたとしても悔いは少ない。

 

 あの奉納相撲には当方も出て置くべきだった。

 当方は現実的なので、「出場しても勝てない」と思っていた。そこは普段から体を鍛えている者とは違う。よって「大会で優勝する」のではなく、「出る」ことと、「一勝する」のが目的だった。

 四十を過ぎてからは出来ないし、そもそも奉納相撲大会が無くなっていると思う。ちちがスポンサーになり賞品を提供していたが、それが途絶えたのは昭和の末だから、平成年間には消滅したのではないか。