日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎市松人形

市松人形

 二十年くらい前に古道具類と一緒に買い取った品だが、これまで箱積みの下になっており忘れていた。

 数日前に、家人が部屋の片づけをしていた時に箱ごと発見した。

 「メル※※に出せば一万で売れるかも」と家人が言う。

 「そりゃダメだよ。人形には魂が宿る。これまで放置して来たけれど、ずっとこの家で暮らして来た。これからはそのお詫びもかねて家族として大切にしてやる」

 家人はそれを聞き、納得したのか、「冷房の風が当たり、冷え過ぎぬように」とタオルをかけた。

 

 市松人形は、よくホラー小説の素材として利用されるが、本来は子どもの息災を願う親の願いを込めるものだ。

 ネットで引くと、「雛人形と一緒に市松人形を飾るという文化は、江戸時代からありました。 市松人形には、雛人形と同様に女の子の身に降りかかる災厄を祓い、病気やケガから守ってくださいね。 という意味があり飾られます」と書かれている。

 

 以下は人形にまつわる当家の思い出話だ。

 次女が五歳くらいの頃に、バービー人形のような金髪の人形を与えたところ、家ではいつも抱いているようになった。

 名前は「マリリン」で、次女自身がそう付けた。

 幼稚園に行く時だけは家に置いて行くが、帰宅すると常に一緒だ。寝る時も離さない。

 その次女が小学校に入ると、人間の友だちが出来始めた。

 次第にマリリンのことを放置するようになり、ある時、父親(私)が部屋に行くと、この人形が部屋の隅に放り出されていた。

 扱いが可哀想なので、次女の許に返し、「あんなにマリリンを可愛がっていたのに、今は放り捨てている。マリリンが可哀想だろ」と伝えた。

 次女が人形を受け取った時に、マリリンは「あ、あーー」と声を上げた。音の感じは「マ、マーー」だ。

 この人形はビニール製で、内部に発声装置などはついていない。綿だけだ。

 それでも、はっきりと声を上げた。

 父親は「人形にはひと魂が宿る」というが、それも現実なのだなと痛感した。

 けして起こり得ぬ事態の現場に立ったが、案外、すんなりとそれを受け止められた。

 これは状況的に「気のせい」や「聞き間違い」が入り込む余地がなかったせいだろう。「中綿の人形が声を上げた」が事実としてある。

 

 しかし、やはり子どもは何時までも子どものままではなく、マリリンはどこかに片付けられてしまった。今はたぶん、屋根裏部屋の段ボールの中ではないかと思う。

 いずれこっちも見つけ出して、きちんと家族扱いしてあげる必要がありそうだ。

 

 さて、この二人をデジカメで撮影すると、左側の子には「顔認識」機能が働く。

 家人によると、右側の女の子は「少し拗ねており、顔をそむける時がある」そうだ。

 当方は「家族として大切にするし、俺が魂を入れてやる」と約束した。

 最後の画像はその後のものだが、少し笑っているように見える。

 

追記)市松人形は「親の願い」を表わしたものだ。これをホラー話の素材にすること自体が間違っている。「ひとの切実な心を弄ぶな」と思う。