日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

親の所得と子どもの成績

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A「親の所得が高いほど、子どもの成績が良い」
B「豪邸で育ったアソー氏には庶民の気持ちはわからない」

どちらがより確からしいか。
答えは、紛れもなく「B」です。

理由は論理的なもので、要因が帰結に直接的に結びついているかどうか。
Aは、親の所得が高い→子どもの教育環境を充実させられる→成績が上がる、の筋道で、間に複数の介在要因が考えられます。
一方、Bは門から家屋まで数十メートルもある豪邸で育った人→食材を切り詰めねばならない庶民の暮らしはわからない、でストレートに結びつきます。確か電車の初乗運賃を知らなかったですね。

以上は、やや詭弁ですが、しかし、8月7日報道の標題のニュース(上のAに該当)には、びっくり。
「所得の高い世帯のほうが、子の成績が良い」
これは、「所得の低い世帯の子は、勉強が出来ない」と同じ意味です。
すなわち、子どもの成績を階層区分し、親の年収と比較してみたら、「統計的に有意な違い」が出たということでしょう。
しかし、調査統計を少しでもかじった者であれば、調査票に記された選択肢以外に、様々な媒介要因が存在することに考慮する必要を感じます。
感想は、「アホかいな」です。またもや、「安かろう、悪かろう」の調査会社が作った安直な結果を、コーロー省は鵜呑みにしてそのままプレス発表しているのかいな。

「親の年収が200万円未満の層では、子どもの成績が低い」
これって、ご大層に公表することですか。
年収200万円未満の層で、子を持つ世帯とは、概ね母子世帯のサイズです。
数年前の数値ですが、母子世帯の状況は、上に掲示したグラフのとおりです。

○2006年では、母子世帯はおよそ152万世帯。
○平均収入は、210万ちょっと。これには福祉の手当てを含みます。
○母親の他に2人強の家族がいる。すなわち子どもは概ね1~2人くらい。
○半数を越える世帯の預貯金は100万円に達しない。
○教育・進学問題が母の悩み。

この家計では、子どもの教育まで手が回らず、塾にだって行かせることは出来ません。多少なりともこれが子どもの成績に反映されることは疑いないです。しかし、これは色々な角度から見たときの話で、これを単純に「年収が上がれば成績が上がる」と見なすのには、かなりの問題があります。

ここで気がつくのは、「アナリストとしては致命的なヘタクソリポート」を、あえて公表するのは、何かしら政策的な意図が背景にあるからだろうということです。プロなら、こんなリポートは恥ずかしくて、とても外に出せません。

なるほど。ここで納得します。
厚労省には「低所得世帯向けに、育児手当てを増額しよう」と考える企画官がいるわけですね。
この人が考えていることは立派です。政策立案には、裏づけが必要なので、この調査に補助金を出し、根拠を確かなものにしようとお考えになったのでしょう。
社会のどのような位置にも、「まともな人」は必ずいます。

一方、世間の人間は、この社会正義を重んじる優秀な官僚とは、少し違った受け留め方をします。
「やはり、貧乏人はダメだ」
「貧乏なヤツは頭が悪い」
こういう差別的な方向で、この知見を利用するだろうと思います。
この辺は、机上の理屈とはかなり違います。
「エリート」として育った人には、下々の生活観が伝わらないのです。

社会統計学の分野で、「年収と成績」という「見かけの相関」について論じるバカなアナリストは皆無だろうと思っていたら、ネット検索でもゾロゾロ出てきます。
こんな思慮の浅いリポートを、この道の研究者がそのまま出すでしょうか。
ここで「はた」と気付きます。
すっと大学に残り、数理統計学を研究し続けていれば、ひとつ1つの○印の背景に、人の暮らしがあることがわからないのでした。いわゆる「研究者バカ」というヤツです。

社会学の師匠は、生前、「フィールドに出て、人の心を知れ」、「見栄えの良い、安直な結論を書くな」と、口を酸っぱくして言っていました。
その当時はその言葉の意味がよくわかりませんでしたが、今となっては有り難い言葉です。