日刊早坂ノボル新聞

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(北斗英雄伝)なぜ「羽柴」秀吉か

 「九戸戦始末記 北斗英雄伝」では、「豊臣秀吉」という呼称は一切出てこず、「羽柴秀吉」のみを使用しています。
 これは「豊臣」が姓(かばね)であり、平朝臣、源朝臣に替わる位置づけとなるからです。秀吉は農民の出で、源平を祖先に持つ者ではないため、天下は取れない決まりなので、別格の「豊臣(ほうそん)」を創造したのだろうと考えられます。
 姓+忌み名は、普段の呼び方としては使われません。名前の用い方としては姓+忌み名となり「豊臣秀吉」は正しい用法ですが、家臣は不敬に当たるため、その名では呼ぶことが出来ないのです。
 厳密には、名字の羽柴を冒頭に付けるのなら、通称名の藤吉郎か、官職の関白を下に付けます。このため、「羽柴」+「秀吉」にはなりませんが、現代で一般に馴染みのある「羽柴秀吉」を使用するものとしたのです。
 
 ちなみに、蒲生氏郷は、秀吉により「羽柴」の名字を与えられたので(親族格)、羽柴忠三郎と名乗れたのですが、自身ではほとんど使っていないようです。秀吉が氏郷を警戒したふしが見られるのも、こういった自意識の強さを感じたからかもしれません。
 かたや氏郷は家臣に対し、「蒲生」を乱発したので、家中は「蒲生」だらけになってます。