日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

八戸の駅弁

朝のテレビ番組で、明日くらいから京王百貨店で駅弁大会が催されるとのニュースを見ました。
その中で、大々的に取り上げられていたのは、八戸の吉田屋さんです。

吉田屋さんの駅弁には、忘れられない思い出があります。
今からウン十年前。
まだ青函連絡船が本州と北海道を繋いでいた頃に、1人で各駅停車の旅をしたことがあります。
電車を乗り継いで、稚内まで行き、また別のルートで南下するという旅です。
寝袋を持参し、夜は駅の前か公園で寝て、雨が降ったら安宿に泊まるという方法で、2週間くらい道内を回りました。
帰路、函館まで戻って来たのですが、お金が2百数十円しか残っていません。
銀行の口座にもほとんど残金が無かったと記憶していますが、それ以前に、土曜日の夕方なので、銀行は閉まっていました。
(母に頼んで、少し口座に振り込んでもらうしかないよな。)
電話代だけ残し、その夜と日曜を過ごせば何とかなりますので、パンと牛乳でも齧ればあとはどうにか。
(また公園で寝ればいいか。)

そう考えて、歩き出したのですが、たまたまそれは小さなパチンコ屋さんの前でした。
私は、元々、バクチ好きだった叔父たちに性格が似ていたのか、ついついそこで足が止まりました。
「パチンコで出しちゃえば、ご飯を食べられるよな」
もちろん、しくじれば、飯抜きで丸一日過ごさねばなりません。
少し考えましたが、先に公衆電話のところに行き、実家に電話しました。
残りが200円ありましたので、これでパチンコ玉を買います。

さすがに、自動の台には座れず、1発1発を指ではじく、「手打ち」の台に座りました。
最初の10個は1個ずつ下まで落ちるまで見ていました。
ところが、たまたま座ったのが良い台だったらしく、それからジャンジャン出て、打ち止めに。
1万何千円かを換金して、翌日、連絡船に乗りました。
青森からディーゼル機関車の各駅停車に乗り、八戸まで行ったのです。

そこで、乗り換えを待つ間に、駅弁を買ったのですが、それが吉田屋さんの鮭イクラ弁当でした。
その当時は「はらこ飯」だったような気がしますが、今は「海の宝船」という名前になっているようですね。
新鮮な鮭とイクラは美味しかったですね。
「こんな美味しい駅弁があったのか」と感じ入りました。

吉田屋さんは、明治20年代の創業ですが、初代の吉田亀五郎さんは、北海道からこの地に来て、弁当屋を始めたそうです。
その時のエピソードが面白いので、年末まで盛岡タイムス紙に連載した「怖谷奇譚」で、その吉田亀五郎さんの話をそのまま使わせてもらいました。
許可なく勝手に使いましたので、きちんとわかるようにしてあります。
(なにせ、役名も「吉田亀五郎」君です。)

ずっと応援するぞお!
あの時のイクラの味が忘れられないので、いつかまた各駅停車に乗り、八戸駅を訪れようと思っています。