日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

夢の話 第240夜 梟

朝方のMLBを見ているうちに、眠りに落ちていました。
その時の短い夢です。

公園まで散歩しに行った。
天気が良い日で、木々の緑がまぶしい。
連れは明るい色のワンピースを着ていたが、鮮やかなコントラストだ。
「写真撮っておこうか」
「ウン」
大きな木の下に連れを立たせ、ケメラを取り出す。
「動きのある絵にしようか。ゆっくり歩いてくれる?」
「わかった」
パシャパシャと撮影する。

「じゃあ、今度はオレね」
「オッケー」
連れと入れ替わって、木の下に行く。

帰宅した後、PCで画像を開いてみた。
連れの女性は24歳。さすがに若くてスタイルがきれい。明るい色の服が映える。
もちろん、オレのほうも、まだ26だ。

「あれ?」
連写した画像の中に、不審な写真を見つけた。
「これって何?」
木の上に、黒い塊が写っている。
「なんだろう。鳥かな」

画像を鮮明に直し、さらに拡大してみる。
これはどこかで見たことのある形だ。
少し考えさせられたが、じきに思い出した。
これは昔、動物園の片隅で見かけた梟だ。
マダガスカルかどこか、南洋に棲む大型の猛禽だな。
確か体長が120センチに成長する大型の梟で、羽を伸ばすと250センチにも横に広がる。
「まさか。公園にこんな大きな鳥がいるわけないよな」
公園では20枚くらい撮影したが、この鳥が写っていたのは1枚だけだった。

でも、どこかで同じものを見たことがある。
しかも最近だ。
そこで、この3か月内に撮影した写真を点検してみることにした。

「あ。いたいた」
ツカイツリーに行った時、記念写真を撮ったのだが、空の片隅に何か巨大な鳥が飛んでいた。
それとは別の日に、〇山の展望台の上で撮った写真にも、手すりの上に乗る梟が写っていた。
その日1日に撮影した画像の中に、決まって1枚ずつ、この鳥が写り込んでいる。
それも、総てがオレを被写体にした画像でだ。

まるで、オレの後をついてきてるみたいだな。
ストーカーかよ。
しかし、こんなに大きな鳥が近くにいたというのに、今までまったく気づかなかった。
さすがに気持ち悪いぞ。

目を凝らし、沢山の画像を見たので、少し疲れた。
煙草でも吸おうと窓の近くに行く。
少しガラス窓を開け、外の空気を入れた。
ひゅうっと風が吹き込んでくる。

すると、オレのすぐ後ろでパサパサっという音がした。
「紙でも飛んだかな」
後ろを振り返ると、部屋の中に大きな梟が立っていた。
150センチなんてどころではない。頭が天井に届きそうだ。
元々、オレは鳥類は苦手で、鳩や鶏も好きではない。
それがすぐ目の前に、こんなでかい梟に立たれたものだから、オレは思わず身を固くした。
身動きすることもかなわず、ただその鳥の眼を見つめた。

すると、その巨大な梟は1度軽く身を震わせ、徐に口を開いた。
「お前。全然わかっていないな」
「え?」
梟は両足で軽くジャンプし、オレの傍に近寄る。
「俺は梟じゃない」
その鳥が左右の翼を大きく広げた。
(羽があるんだから、梟じゃなくとも何かの鳥だろうよ。違うのか?)
「違うね。俺はね。鳥でもなくて、死神なんだよ」
そう言うと、その「鳥もどき」は、両方の翼をすぼめ、その翼でオレの全身を包み込んだ。

ここで覚醒。

普段はとても他人が読むのに堪えられないような「おどろおどろしい」夢を見ることが多く、ここには書けません。今朝のは比較的やさしい内容でした。
よくあるのは、具体的な人物(自分以外の)が登場して、具体的な死に方をする夢です。
名前を書くわけにはいかず、かといって、何かの象徴を表しているであろうその名前を書かないと、夢の意味を理解することも、伝えることも出来ません。よって結局は書きません。

こういう夢を「鳥(または梟)は〇〇の象徴だから」と考え始めると、解釈を誤ります。
このアイテムは、私個人の記憶を心が咀嚼して生み出したものなので、そこを読み解くところからです。

あるいは、梟は自分に迫る死期を教えてくれているのかも。
その場合、教えてくれているのは、自分自身か、あるいは本物の死神だろうと思います。

かつて1度、自分の傍らに立つ死神らしきものを見たことがありますが、それが「どこから生じたものか」などはどうでもよいことです。自分の心が生み出したものでも、自分ではない本物の死神であっても、行き着くところは同じです。
あの圧倒的な存在感を感じれば、死がすぐ近くにあることを疑う者はいません。