夢の話 第628夜 影
10日の午前3時に観た夢です。
何時からなのかは分からないが、黒い影が見えるようになった。
常時見えるわけではなく、また視界の端にほんの少し入る程度だから、さほど気にならない。見えた瞬間に「アレ?」と思う程度で、すぐに忘れる。
最初はただの黒い塊で、視野の隅を横切るだけだったから、ほとんど気が付かなかった。
眼の具合が悪いのかと思っていたほどだ。
それが次第に大きくなり、人のかたちに見えるようになって来たから、そこで初めて意識するようになったのだ。
「影」はじっと佇んで、オレのことを見ているときもあれば、さっと横切ることもある。
そうなると、さすがに気になって来る。
「あいつは一体何なんだろう」
ただの影ではなく、明らかに意識を持っているような動き方だった。
数日前からその影がオレに近寄るようになって来て、ごく間近に立つようになった。
ソファに座って新聞を読んでいると、背後に立ち、オレの前の方を覗き込んだりする。
シャワーを浴びている時に、摺りガラスの向こう側に立ち、オレの気配を覗っていたりもする。
もはや、充分すぎるほど煩わしい。
「それじゃあ、正体を確かめなくちゃあな」
オレはその影を捕まえてみることにした。
そのチャンスは案外すぐにやって来た。
翌日、オレは昼休みに公園に行き、そこのベンチで昼食をとった。
サンドイッチを食べていると、いつもの通り、視界の端を黒い影が過ぎった。
そのままじっとしていると、そいつはオレのすぐ後ろに来て、肩越しにオレの前の方を覗き込んだ。
そいつの頭はオレの右肩のすぐ後ろにある。
オレはそこでサンドイッチを前に放り捨てると、すぐさまその手を返し、後ろにいた影の首根っこを掴まえた。
そいつはサンドイッチの方に気を取られており、反応がひと呼吸遅かったので、オレはそいつの喉元をきっちり押さえつけることが出来た。
「ううう」と影が呻く。
ここでオレはそいつの首を引いて、ベンチの上に横倒しにした。
オレを悩ませた黒い影の主は、小太りの中年男だ。身長は160センチくらいと小柄で、頭頂部が剥げている。田舎の役場にいそうなタイプの、ごく大人しそうなオヤジだった。
「おい。お前は何者だ。何故オレに付きまとう」
「ううう」
「何とか言え」
ここでオレは、オレがきつく締め付けているから、このオヤジが言葉を出せないと悟り、ほんの少し首元への力を緩めた。
「これで話せるだろ。さあ、お前は誰だ」
すると、オヤジは観念したのか、口を開く。
「オレはお前が想像していた通りの者だ」
「ってことは、死神か?」
オレには重い持病があるから、「もしや」とは思っていた。
実際、病院のベッドに座っていた時に、死神に会ったことがある。
「そうだよ。乱暴は止めてくれよ。俺だって好きでこの仕事をやっているわけじゃない。やれと言われて仕方なくやっているんだよ」
「ふざけるな。人殺しのくせに」
すると、オヤジはむきになって抗弁を始めた。
「おい。俺は人殺しなんかじゃないよ。失礼なことを言うな。俺は死神だから、死んだ者の魂を引き取って、地獄に連れて行くだけだ。その相手を殺しているわけじゃない」
「大して変わらねえじゃないか。オレを連れて行くために来たんだろ」
「ま、そうだが、しかし殺すのと連れて行くのとではだいぶ違う」
ここでオレは気が付いた。
(もしかして、コイツを殺せば、オレの死期が遠ざかるかもしれん。このままコイツを絞め殺すってのはどうだろう。)
オレは頭で考えただけだが、死神の方は人の心が読めるのか、オレのその考えを読み取った。
「おいおい。止めてくれよ。俺の務めはあと5年だ。それが終わればようやく解放される。今ここでお前に殺されたら、また最初からやり直しになるんだよ」
「お前の代わりなんていくらでもいるだろ」
「いや。少なくともあんたの担当は俺だ。俺がここで死ぬと、魂が再生するまで、あんたは宙ぶらりんの状態になる。それじゃあ、困るだろ」
あらあら。コイツは重大なヒントをくれたぞ。
「すると、お前が死ぬと、お前がもう一度死神として再生するまで、オレのところには来ないわけか」
「そうだ。もしお前が死んでいたら、俺が来るまで、ずっとこの世に留まることになる」
でも、今のオレはまだ死んでいないぞ。
となると、こいつを殺してしまえば、オレは「当分の間、死なない」ってことになる理屈だ。
死神はオレの考えが読めるから、これも読み取った筈だが、しかし、黙りこくっている。
「すなわち、図星だってことだよな」
ここでオレはもう片方の手をコイツの首に添え、両手でぐいぐいと締め上げた。
一分も経たぬうちに、死神の顔が青黒く変色し始める。
その時だった。
オレの左手の方で、叫び声が上がった。
「きゃあ。人殺し」
そっちを向くと、道の上にOLの二人連れが立っていた。
昼飯の後、二人で散歩していたらしい
「ありゃ。あいつらにもこの死神が見えるのか」
すると、知らず知らず手が緩んでいたのか、死神が息を吹き返した。
「あんたが俺を掴んでいるから、俺が実体化した。大体、俺を殺すには、俺が実体として存在しなけりゃ無理だろ。理屈は簡単だ」
じゃあ、やっぱりコイツを殺さねば。
オレは再び両手に力を込め、死神の首を締め上げる。
「きゃあ。誰か来て。人が殺されようとしています!!!」
OLが叫ぶ。
オレはここで呟いた。
「いやはや、オレが生き延びるためにはコイツを殺さねばならないが、しかし、首尾よく殺せば、今度は殺人犯として裁かれるわけか」
状況がどんどん複雑になって行く。
ここで覚醒。
視界の端に人影が見えるのは、覚醒している時も同じです。
時々、私をじっと見ていることがあります。
困ったもんです。