日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

(飯能) 瀧不動にて  (その2)

最初に断っておきますが、この日記は、信仰(宗教)や怪異・心霊現象に着目するような内容ではありません。
宗教に関心はありませんし、世に流布されている心霊現象は大半が作り話と思います。
単に自身の体験について「説明がつかない」と思っており、日記的に記しているだけですので、念のため。

当家夫婦は、両方とも不動明王が守護仏?らしく、お不動さま参りに関連して、これまでも何度か不思議な体験をしています。
昨日、妻と2人で、日高から秩父に向かい、帰路は名栗に寄るというルートで桜見物に出かけました。
最後に名栗に寄るのは「バナナを買うため」です。
ちなみに、この村に数軒の個人商店のうちの1つの店ではバナナが激安で売られており、エクアドルの大ぶりのバナナ6、7本が100円くらいで並んでいたリします。
(ご存じの方は「ああ、あそこかあ」と思われることでしょう。あそこです。)

日高から秩父方面に向かう道は、ほぼ1本道。
間違いようがありません。
ところが、考え事をしているうちに、なぜか別の道に入り込んでしまいました。

しばらく走っていると、妻が突然、「ボクのお金はどうしたの?」と呟きます。
その声を聞いて、運転手(ダンナ)の方は、ハッと我に返りました。
「何?」
「なんだか。頭の中でそういう声がした」
信号が赤に変わり、そこで停止します。
「わ。ここは・・・」
そこは瀧不動前の交差点でした。
「これじゃあ、道を戻っているだろ。どうなってんだろ」
気づかぬうちに、回り道をして、まったく反対方向に戻っていたのです。

「どうしたんだろ。どこでどう回ったか、全然思い出せない」
その直前の15分くらいの記憶がすっかり消失していました。
「カーサンは憶えているか?」
「わからない」
夫婦とも考え事をしており、会話らしい会話も無かったのですが、あと戻りしていることに気づきませんでした。
「ところで、ボクのお金って何?」
「頭の中でそんな声が聞こえた。あっ」
妻が途中で驚いて、声を上げました。

「こないだ来た時に、お賽銭の小銭が無くなったので、最後のほうの仏様の前で『明日また来ますから、今日は勘弁してください』とお祈りしたんだった」
「バカヤロ。お参りする時に期限を切るんじゃあない。『次に来た時に』とか『そのうちに』なら、概ね約束を破ることにはならない。しかし、『明日』と言ってその日に来なければ、約束を違えたことになるんだぞ。祈願しようという時には約束を守らないと、仏様にウソをつくことになる」
「そうかあ」
と言うことで、ここで車を降りて、お参りすることにしました。

「ところで、ボクのお金は・・・ってのは?」
七福神の途中の子どもの神様」
なるほど。ここの七福神は「ゆるキャラ」みたいな造形です。
(ちなみに、妻は外国籍なので、日本の神様仏様の区別がつきません。)
子どもの姿なら、小山の中腹にある毘沙門天でしょ。
たぶん、妻の「内なる声」というものなのでしょうが、しかし、この日瀧不動に寄る予定はまったくなく、考えもしませんでした。
おまけに、夫婦とも、その少し前の15分間の記憶がまったくありません。

本題はここから。
お不動さまにお参りをし、帰路についたのです。
自宅に戻り、玄関のカギを回し、ドアを開けようとすると、開きません。
「ありゃ。どうなってんだろ」
もう一度、鍵を差し直し、ドアを引きますが、ピクリとも動きません。
「不味い。泥棒が中にいるのかも」

空き巣が仕事をする時、玄関はロックをし、裏口や窓を開けると言います。
これは万が一その家の人間が帰って来ても、すぐに逃げられるようにするためです。
玄関を内鍵でロックするのは、家の人が中に入るまでに数分かかるから。
一方、仕事を終えると、空き巣は玄関から出て行きますので、泥棒が帰った後、ドアは開いています。
その辺は、前に事務所荒らしの被害に遭ったことがあり経験済みです。
ここで「植木の陰にスコップを置いていたなあ。もし中にいたら、それで叩き殺そう」と考えます。

しかし、念のため、もう一度、鍵を回します。
また動かない。
さらにもう一度回し直して、ようやくドアが開きました。

中に入ろうとすると、三和土に息子の靴がありました。
再び、外に出てインタフォンで息子を呼びます。
「ちょっとお塩を持ってきて」
玄関の前で、夫婦揃ってお浄めをしました。

「オバケでも連れ帰ったの?」
「いや。念のためだよ」
神社やお寺、そしてお墓は、ほぼ清浄なところなのですが、そこから外に出ると、すぐ周りに
不浄なものが集まっていることがあります。
「お土産」を持ち帰っているかも。

しかし、おそらく大丈夫。
たぶん、「今日のことは、お前たちの気の迷いによるものではないよ」というお知らせだろうと思います。
家族のことを放り捨てて、遊びほうけていた時、何度か「(鍵のかかっていない)ドアが開かない」という経験をしましたが、その時の感触に似ています。
ドアだけでなく、他にも説明のつかない現象が起きましたが、やはりお不動さまにお参りして、行いを改めたところ、すぐに収まりました。

その時も、ドアの向こう側で「誰かがドアノブを押さえつけている」という感触があり、「けして回し方が不十分だったせいではない」という確信があります。
夫婦で同じ感覚を持っているので、説明いらず。
理由づけは不要で、「そういうものだ」(特別なことではなく、普通にあること)と受け止めれば、生きて行くのが楽になります。