日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

みてくれだけ

昔、自分の会社を事務所荒らしに荒らされたことがあります。
その時に起こったことは次の通りです。
朝一番で出社したら鍵が開いており、中はぐちゃぐちゃでした。
「泥棒だ」
警察に電話を掛けようとするのですが、110が上手く押せず、7回くらい押してやっと繋がりました。
前の日に営業資金を借りたばかりでしたが、その数千万円が無くなったのです。
動転するのは当たり前です。

予期していない事態が起こった時、普段は簡単なことが簡単ではなくなります。
身近な例えでは、これは「人前に出ると、普段とは話の調子が違う」ことの延長線上にあります。

原発事故が起きた時、時の総理が福島を訪れたのですが、その時は職員を怒鳴り散らすだけでした。
この対応の仕方について、一時は「極めて不手際」と批判されました。しかし、誰1人として経験したことの無い災害に直面すれば、「どうしてよいかわからない」のも分かります。
いつもの考え方では対処できないし、対処しようとしても動けないのです。
よって、当事者でない者が、緊急時の当事者が行ったことをあれこれ言うのは、あまり適切ではないと思います。
(何せ「110すらまともに押せない」事態を、実際に経験していますので。)

しかし、韓国の客船事故はひどすぎます。
船が傾いてから2時間の時間的猶予があったなら、迅速・適切な振る舞い方をしなくとも、大半が助かったでしょう。
乗組員は、一体何を思って「船内にじっとしていろ」と言ったのか。
自分たちが脱出する際に、なぜ「すぐに難しろ」と放送しなかったのか。
浸水が始まった後でも、脱出は十分に間に合った。

救助活動もひどいです。
事故が起きてから、3日の間はまったく何もしませんでした。
これで、いくらか生存の可能性があった生徒たちを見殺しにしました。

火事に例えると・・・。
マンションから火が出た。
管理人は「部屋の中にいて動かないでください」と言う。
これが危険な事態であることを知っている人はいち早く外に逃れ、しかも中の人には何も言わない。
(たぶん、真相は「中がパニックになると自分が出られなくなるから」だろうと思います。)
消防隊はマンションの前まで来るが、「どこの分署の」「どの消防隊員が」消火するかも決められずに、ただ建物の前でじっと見ている。
こんな調子です。

多くの方が感じるように、これはこの事故だけの不手際ではないでしょう。
韓国の人の物の考え方自体に問題があります。
文化・スポーツ、歴史観など総てに渡り、韓国人は総て「主観的な物の見方」をし、判断します。
「客観的な立場からはどう見えるか」は顧みられることがありません。

正しいのは自分で、しくじりが起きるのは「誰かほかの人のせい」。
スポーツではどんな手を使っても勝てばよく、勝った者は優れていたから勝ったのだ。
自分が負けたのは、審判が間違っているか、不公正なルールのせいで、自分が劣っていたからではない。
こういう考え方が、「当事者として危機に直面した時」に、よりマイナスに働いたように感じます。

韓国人は「こうありたい自分」に近づくために顔を整形する。
たぶん、自意識的には整形後の顔の方が「素顔」になっています。
でも、やはりかたちはかたち。見てくれだけです。
「自分だけよければいい」という考え方を改めない限り、何も変わらない。

この国の人たちはこの程度の思想レベルで「一流国になったつもり」でいたのかと思うと、申し訳ないですが、あきれ果てるばかりです。
学ぶべきところが何ひとつありません。
ま、韓国文化の批判はどうでもよいことです。

大切なのは、韓国以外では、ほとんどが死なずにすんだであろうということ。
高校生の子を持つ親としては、そこは許せません。
本当は死なずにすんだはずの、あの子どもたちを返せ!