日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

(日高飯能)ついにお百度参りへ

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昨日、高麗神社にお参りに行ったのですが、今ひとつスッキリしないので、今日は改めて瀧不動から高麗神社の流れでお参りをやり直しました。
今月は瀧不動が5回、高麗神社が6-7回目くらいの参拝になります。

この1か月は東日本の各地を歩いたのですが、どうも良からぬものを「お持ち帰り」をしたようで、身の回りでゴトゴト音がします。
家の中で人が歩く音がどうにも耳に触るので、お祓いをしようということです。
(もちろん、実際のところ家の中に私の他には誰もいません。)

この辺は、私は第六感が鋭いか、もしくは強い迷信家(もしくは妄想家)のいずれか。
しかし、スッキリできるなら、別にどれでも構いません。

私にとっては、やはりいずれか片方に行くより、「まず初めにお不動さまで厄を下ろし、その次に神社で祈願する」という道筋で動くのが合っているようです。

お不動さまは、かなり低級な亡者でもきっちり引き取ってくれる模様です。
ま、私自身も低級なほうで、ずっと自堕落な暮らしを送って来ましたので、ちょうど良いです。
神社に入った時に、自分が多少はきれいになっているつもりでいると、より一層澄んだ心で手を合わせることができます。

「気分が塞ぎ、落ち込むことが多いようなら、少なくとも百回はお参りに来ないと・・・」
まだ境内にいるのに、ついうっかり、頭に浮かべてしまったので、苦笑しました。
粗忽にも「願」を懸けてしまったので、今後も来なくてはなりません。
正確に「お百度参りをする」とは念じていないので、週に2、3回のペースでお参りしようと思います。
帰宅してからは、ひとまず「ゴトゴト」は収まっています。

写真は雨で水量が増えた瀧不動と、高麗神社の境内です。

ところで、以下は神殿前で手を合わせた時の祈願の内容です。

自分の命が少しだけで良いのでもうしばらく続き、あといくつかの著作を遺せるように。
家族が健康でおだやかに暮らせるように。
私の友人や知人が自分なりの幸せを見つけられますように。

さらに、
オレのことを嫌いな人も、それなりに幸せになれよな。
オレが嫌いな人たちも、それぞれがそれなりの小さな幸せを見つけてくれ。
(たとえそれが小役人でも、韓国人でも、けして分け隔てはしません。なるべくだけどね。)

このように祈願しました。
性格の悪さが丸出しだったので、気が静まるまで、もう少しお参りの回数が必要かもしれません。