日刊早坂ノボル新聞

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(日高市:高麗神社) 神さまに仕える猫

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高麗神社境内にいる猫(仮称「コマちゃん」:正式名はトラ)に不利益が生じないように、情報を整理して告知することにしました。

日高市の高麗神社は、「出世の神さま」として有名です。
およそ八百年前に、高麗(高句麗)人が渡って来てこの地に住んでおり、発祥はかなり古くなっています。高麗人は今の日本人の祖先のひとつですが、大陸との接点にもなっています。
境内には「出世の神さま」の言葉通り、歴代内閣の首相や文化人が植樹した木々を見ることが出来ます。

この神社の鳥居付近には、午後になると1匹の猫が座ります。
こげ茶色の雌猫で、元々は近所の飼い猫だろうと思います。
あるいは野良猫でないことを示すために、参拝客の誰かが付けたのかもしれませんが、以前、この猫は首輪をしており、いつも埃の無いきれいな体をしていましたので、飼い猫だったと思います。
この猫がいるのは概ね鳥居付近で、駐車場から境内の東側辺りまでが主な居場所です。

私が高麗神社に参拝に行くようになったのは、ほぼ1年くらい前のことです。
医師より「深刻な病状である」と告げられたことがきっかけです。
既に長い年月の間、病気で苦しんで来ましたが、はっきりと「余命」を告げられたので、さすがに気落ちしてしまいました。
やはり自暴自棄的な心境になってしまいます。
そのままでは、「ただ死んで行くだけ」なので、お百度でもしようかと考えたのです。
高麗神社を選んだことにさしたる意味はなく、掃除がきれいに行き届いた神社であれば、どこでも良かったのです。

百度であれば短期的な話なので、すぐに達成してしまいます。
神に祈願することが目的ではなく、自身の精神を立て直すためには、別の方法を考えなくてはなりません。
それで、百日(回)参拝する(=百日詣)ことにしました。
2、3日に1度ずつ参拝しても、百日参拝するにはほぼ1年の期間を必要とします。
もし、百日詣を達成すれば、その時、自分は「生きている」ということを意味します。
すなわち、百日詣は「生きて行くぞ」という意思表示となります。

半年くらいの間は、神社に参拝しても、猫については気にも留めませんでした。
元々、和毛アレルギーだったこともあり、犬猫は苦手だったのです。
(ちなみに、今もきらいで、犬を見るとつい「傍に来るな」と威嚇してしまいます。)

それがはっきりと変化したのは、この猫によります。
ある日、駐車場で車を降りると、外は雨でした。
鳥居に近寄ると、木の下にいつもの猫がいます。
思わず「雨が降っている時に猫は外には出ないもんなのに。寒くないのか」と声を掛けました。

すると、この猫が起き上がり、私と手水場まで一緒に歩きました。
手を洗い、口をすすぎ終わった頃に、猫が私たち夫婦の前に立ちます。
「神殿まで一緒に行ってくれるのか?」
すると、その言葉が聞こえたかのように、猫が私を先導して、神殿の前まで行ったのです。
さすがに、少々驚きました。
何か考えがあって、そうやっているような仕草だったからです。

その後、ずっと観察していますが、参拝客によっては、鳥居から神殿の前まで一緒に歩くということを、時々行っているようです。
どうやって、相手を選んでいるかは分かりません。

いつも鳥居の近くにいて、参拝客にはアイドルのような存在になっているようです。
この猫に会うために、神社に来る人も少なくはありません。
家人によると、「この猫は、この場所にいるのを、きっと自分の務めだと思っている」とのこと。
確かに、猫の振る舞いを見ると、そんな気がしてきます。

名前が分かりませんので、この猫のことを「高麗神社のコマちゃん」と呼ぶようにしています。
コマちゃんは、他の猫とは動き方が違います。
一度、この神社を訪れて、体験してみてください。
もしコマちゃんが案内してくれるなら、願い事が必ず叶います。

コマちゃんのことを考えているうちに、気が付いたら1年が経っていました。
神殿の前で祈ることは、「有難うございます」のただひとつ。
次の目標は「1千回祈願の達成」になっています。、

追記)後日、この猫が「トラ」という名前であることを知りました。