日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

(日高・飯能) 百日祈願が成就した日

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昨年、高麗神社への百日詣(祈願)を思い立ってから、ほぼ11カ月が経過しました。
この4月1日で、百日祈願を達成しました。
期間と回数で計算すると、概ね3日に1度くらいの参拝頻度になります。

医者から「このまま病気が進行すれば、1年もつかどうか」と言われ、精神的にぐずぐずに崩れたのは、このブログにも記録が残っています。
そこから、自身の精神を立て直すべく、この百日詣を始めたのでした。

鳥居を潜り、神殿に向かいます。
手を合わせた時には、この参拝の目的は達成されていました。
百回を通じて祈願した内容は、「心安らかに命を全うできますように」でした。
これは神社の中に入った時点で、既に達成できています。
そこで、神さまには、まずはこれまでのお礼を述べました。

ほぼ1年が経過しますが、今も生きています。
しかも、「動じることなく、かなり前向きに」と加筆できます。
今死んでもチャラだし、この後生じる喜怒哀楽は、「人生のおつり」であり、儲け分になります。
これから何が起きようとも、まったく損のない人生になります。
ツイてる(笑)。
もはや自分の寿命は尽きていると見なせば、出来事総てを楽しんで受け入れられます。

百日を達成したので、参拝のペースは落としますが、これからも時々、訪れることにしました。
でも、今日からは何を祈願すれば良いのでしょう。
「とりあえず3百億くらいあれば、被災地復興や沖縄の振興のために使います。よろしくお願いします」
こう述べて来ました。

桜見物を兼ねる参拝客がかなりたくさん出ているせいか、猫は出ていませんでした。
すっかり、この神社のアイドルになっており、老若男女が「今日はいないね」と話しているのが聞こえます。
ここの神社では、鳥居下で猫に出迎えて貰い、神殿まで先導して貰うようになって、初めて一人前の参拝客ですよ(笑)。
頑張ってください。

さて、101回から先の参拝は、心の中でカウントすることになります。
ホッとしたような、力が抜けるような、微妙な気分です。
家人は「オトーサンは次はどこに行くの?」と訊いて来ました。
まずは、参拝三十数回の家人の百日に付き合うことから、ですよ。