日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

(日高・飯能) 53日目の参拝で

イメージ 1

イメージ 2

買い物の途中で、高麗神社で53回目の参拝をしました(/百日)。

以下はその時に考えていたことです。

母方の祖父は、みちのくの農夫でした。
祖父は太平洋戦争中の昭和18年に召集され、南太平洋の島に従軍しました。
日本軍の拠点のひとつでしたので、3万人くらいの兵が駐留していたようですが、終戦時に生き残っていたのはほぼ2千人だったようです。
それから、祖父は復員船に乗るまで半年くらい収容所にいたのですが、その間に半分が死んだとのこと。

ちなみに、祖父は明治末の生まれなので、その時は30歳台。
背筋のピリッと立った男で、身長は160詑翦召个覆里法△笋燭藺腓く見えました。
威圧感がもの凄く、祖父を知る人は、皆が「怖かった」と言いました。
祖父が生死の境目を経験したためだろうと思います。
敵兵のことも戦闘で少なからず撃ったことでしょう。

さて、神さま。
この祖父に、かつての戦争の責任はあると思いますか?

答は2つ。
もし「祖父に責任はない」なら、孫の私にも当然責任は無い。
「日本人だから」と言う理由で謗られることは無い。
かつて日本国籍を持つ朝鮮戸籍だった韓国人にも責任は無いです。

また「祖父は日本人なので責任はある」なら、私にも責任はあります。
歴史への反省が必要です。
その場合、多数の朝鮮籍の人が日本人として従軍しているので、韓国人や北朝鮮人は、当然、自らも「反省する側」だということです。
自らは一方的な被害者でなく、敗戦国のメンバーですよ。
ここは勘違いしている人が多いようです。中国と韓国が「反日で共闘する」ということは、双方の主張ががウソッパチだってことです。

日本人の多くは、中国人や韓国人が「日本人は歴史を忘れ反省していない」と謗ることの意味が分かりません。
この70年近くの間、日本では反省ばかりしてきたような実感があります。
よく観察すると、かの国々では日本の中のごく一部の右翼や国粋主義者の主張のごく一部だけを取り上げて、日本国民全体がそう主張しているように報道しているだけです。

中国人はともかく、韓国人については、まず自分も反省すべきでは。
そうじゃないの? 神さま。
まあ、今を生きる我々は「この後はお互いに安らかに生きられますように」願います。

私の作品の「九戸戦始末記─」には、李相虎という中韓の血筋を引く登場人物が出て来ますが、「好き嫌いは別にして、相手に手を伸ばし、相互理解を心掛ける必要はある」と考え、組み込んだものです。
まだ続きがありますが、時々、このキャラを「殺してしまおうか」という誘惑にかられます。
しかし、感情は「ただの感情」なので、流されないようにする必要がありそうです。

これが手を合わせていた時に考えていたことです。

ところで、いつも境内に猫がいるのですが、首輪がありません。
野良猫なら生きていくのが大変でしょうから、煮干しを持参しました。
「神猫」なので、きちんとご祝儀袋に入れてあります。
しかし、雨なのであの猫は出ていませんでした。
前はいつも走り寄って来たのに、最近は来なくなってしまいました。
「来ないとなるとなんだか寂しい」です。(ここは「七人の侍」の「平八」になったつもり。)

いつも通り、これは日記をただ開いて置いてあるだけです。
したがってご意見無用です。
私は今のところ「ごく普通に嫌韓」ですが、ネトウヨも嫌いなので。
ネット上の「友だち」なるものは要りませんので、反応があっても削除するだけです。