日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

怒るのも当たり前では

フランスの新聞社襲撃事件について。

以下の多くは例え話です。
他の家族の父親のことを、誹謗するようなビラを撒けば、その家の息子たちが怒って抗議に来るのは当たり前だと思います。
相手には言い返す手段が無いのだから、「表現の自由」は当たりません。
もちろん、暴力に訴えることには賛成できませんが、イスラム諸国の方々の「心情」は理解できます。

「フランス人は風呂に入る習慣が無いので、だいたいの人の体臭がキツくて臭い」
こう書くのは「表現の自由」ですか。
違うと思いますね。
根拠がそれなりにある話ならともかく、その人たちが大切にしているシンボルを、さしたる根拠なくコケにするのは「ただの侮蔑や誹謗」ですよ。

しかも、論調を「表現の自由」から「テロへの戦い」へシフトさせる向きもあります。
学校で、特定の子どもをいじめ、その家族まで誹謗する。
その子が怒り、ついには反撃して、いじめっ子を叩いた。
その時、「お前は暴力に訴えたから罰せられるべき」と謗るのは、ちょっと「正義」とはかけ離れている行為では。
それと似たようなものです。

この辺は、韓国の産経新聞記者の拘束とは事情が違います。
報道された内容を読む限り、誹謗ととらえられるような内容はなく、「ごく普通」です。
韓国人が怒るのは、韓国語に翻訳された内容が悪意で解釈されたもので、日本語の原文とはそもそも違うことから来ているようですね。
それでも、元ネタの提供者も、同じように事情聴取していれば、それなりに政府国民の「姿勢を示した」とみなされたでしょう。
同じ基準を物差しにすれば、一定の理解はされます。
現状では、「韓国政府・司法はバカなのか」ということを喧伝する結果になってます。