日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

夢の話 第358夜 大火炎

日曜の夜半に観た夢です。

私は28歳。医療研究施設の研究者だ。
あの「開蓋の日」から3年が経ち、私の研究はいよいよ最終段階に近づいた。

まずは「開蓋の日」の話から始めなくてはならない。
あの頃、疾病治療の目的で、万能細胞の研究が進められていた。
体内の組織のどの部分の損傷をも補填できる細胞を開発すれば、健康寿命を著しく伸ばすことが出来る。
そういう目的で進められていた研究だった。
ところがその研究はとんでもない副産物をもたらした。
人体に取りついて、神経系に作用するウイルスだ。
そのウイルスに感染すると、神経組織が復活し、人体に勝手な命令を与える。
ウイルスにとって重要なのは、自己の繁栄と成長なので、「栄養を摂り入れろ」と命じるのだ。
その命令に従って、その人間は周囲にある「たんぱく質」をむさぼる。
困ったことに、このウイルスは神経に直接作用する。このため、その人間の脳は不必要だ。
逆に言えば、体内の神経系がいくらかでも生きていれば、その人間はまわりの生き物にかじりつく。

分かりやすく例えれば、あの死者が生き返る「ゾンビ」にかなり似ている。
こういうわけで、「開蓋の日」とは、「地獄の釜の蓋が開いた日」のことで、研究所からウイルスが漏れ出た日のことを指している。
死んだ筈の者が生き返って、生きた人間を襲い始めたからだ。

「ゾンビ」と少し違うのは、「ゾンビ」は脳を破壊すれば死ぬが、こっちはそれでも死なない。
コイツは背骨の神経に作用しているので、殺すには脊髄を破壊することが必要だ。
まあ、肩の間の背骨を破壊すれば死んでしまう。
あるいは、顎を砕いてしまえば、周りに食い付けなくなり、ゆっくりじたばた動いているだけの無害な存在になる。

最初の1年はかなり苦戦した。
新しい死者はかなり速く動けるので、生きた人間が多数餌食になった。
対処方法も分からない。
このため、最初の1年のうちに、人類の半数が食われるか、感染者の仲間になった。
ところが、人間が逃げ回っている間に、感染者の動きが緩慢になってきた。
餌が少なくなると、自分の組織を食いつぶすので、筋肉が減少するためだ。
共食いはしない。
感染者は、独特の匂いを放ち、仲間に自分が感染者であることを報せる。
この匂いがすると、感染者はその相手を襲わなくなる。

これがヒントだった。
もし、この匂いの成分を解明し、複製出来れば、人は襲われなくなる。
そこから、これとまったく逆の視点も生まれた。
感染者を引き付けている要素を解明すれば、フェロモンのように、感染者を集めることが出来る。
集めることが出来れば、人間が食われる危険がかなり減る。
このことが分かってから、その2つの研究に2年の月日が費やされた。

この研究所の1つの棟には、実験用に、感染者が1千人ほど集められていた。
初期感染者は、ウイルスによって目覚めた死者と、生きたまま感染した者だ。
ここもゾンビとは違い、ウイルスに抵抗力の無い者は、生きた状態でも感染し、変貌してしまう。
2次感染者は、初期感染者によって感染させられた者で、齧られているから、大半が体に欠損がある。
もう3年目なので、初期感染者はがりがりに痩せている。
筋肉も動かないので、ただぼーっと立っているだけだ。
人間がその間を歩いても、感染者の手が持ち上がるのは、通り過ぎた後だ。
こういう事情で、今は研究者たちも、所内では普通に感染者の間を行き来している。

私の研究は、通称「ゾンビ・フェロモン」の合成だ。
感染者を引き付ける誘因を探り、複製するというものだ。

この日、ようやく先が見えて来たので、私はタカナカ主任教授の許に行った。
「ようやく分かりました。感染者はたんぱく質を分解する酵素の匂いに敏感に反応します」
教授の眼が輝いた。
「真紀さん。ついに解明したか」
「はい」
「それで、具体的には何だったの?」
「最も有効なのは、食中植物の袋の中の水に入っている成分です。この匂いで感染者を集めることが出来ます」
「花の匂いか。じゃあ、どっちも同じだったのだ」

「同じ」と言うのは、感染者同士が共食いを避ける匂い物質が、まさに花の香りだったからだ。
こっちの匂いは、百合の花の匂いに似ている。
このため、感染者が近づいた時には、周りに花の匂いが漂うので、これに注意すれば噛り付かれることも無いのだった。

「いつ頃合成出来るの?」
「3か月もあれば、数トンほど出来ます」
「それなら、作戦はその頃か。すぐに軍に連絡しよう」
教授は早速立ち上がり、電話の方に向かった。

作戦の段取りはこうだ。大きな窪地か球場みたいなところで、その匂いを放つ。
すると、その匂いに惹きつけられた感染者がそこに集まる。
十分に集まったところで、感染者を焼き尽くすことになる。
少し残酷なようだが、感染と同時に脳が食いつぶされるので、思考能力が無く、回復もしない。
生き残った人間の命を守るため、これは仕方がない。

私はここで、その作戦の日のことを想像した。
その日。最初に放たれるのは、食中植物の出すフェロモンだ。これはたんぱく質分解物質とのカクテルになっている。
その匂いに感染者が群がる。
こちらは百合の花の匂いなのだから、この地点一帯は花の香りに満ちることだろう。
そして最後には、総てを焼き尽くす大火炎が空まで上がるのだ。
行う内容とはうらはらに、どこか美しさのある情景だった。

私は研究室に戻り、合成作業を再開した。
急ピッチで進めたので、1つ目のタンクはすぐに一杯になった。
本部と研究棟の間には、患者の居る棟があるが、今では平気でそこを行き来している。
ここを通る方が近道だったからだ。
感染者の動く速さは、普通の人の3倍遅いので、捕まることは無い。

しかし、成功が見えたことと、多忙すぎたために、私はミスを犯した。
この夜。私は研究室に独り残って、合成作業をしていた。
すると、かすかにカリカリという音が聞こえた。
「何だろう」
音は隣の部屋から聞こえる。
隣の部屋に行ってみると、別に変わりは無かった。
「おかしいわね」
カリカリ。
音は床の下からだった。ここにはゾンビ・フェロモンのタンクがある。
そこで私は、床のハッチを開けて見た。
すると、床の下には無数のネズミが居た。
私はすぐに自分の部屋に戻り、教授に電話をした。
「たぶん、物質が漏れ出ているのだ。おそらく、そのネズミは感染ネズミだろ」
ごくたまに、動物でも感染する者が居る。
少数だが、周囲のそれが一か所に集まったら、かなりの数になるわけだ。

教授が何かに気づいたらしく、受話器の向こうで叫んだ。
「不味いぞ。すぐに逃げろ。感染者が集まって来るぞ」
タンクの物質が漏れ出ている。そこを感染ネズミが齧って、穴が大きくなっている筈だ。
そうすると、この地域一帯の感染者や感染動物が、一斉にここに集まって来る筈なのだ。

私は慌てて、廊下に繋がるドアを開いた。
廊下は、既に感染者で一杯になっており、満員電車の状態だった。
ドアを閉め、窓に向かう。
カーテンを開くと、研究所の中庭は感染者が溢れていた。
5千人か6千人は居るだろう。
動きがスローモーで、ほとんど音がしないので、気づかなかったのだ。

「これでは、もう」
たぶん、私が最後の人間だ。
感染者の餌食になる最後、という意味だ。
それなら、こいつらを道連れにしてやらねば。

この下には、タンクの奥に発電機用の燃料が置いてある。
これを撒いて、火を付けよう。
数か月後の予定だったが、まあいいでしょう。

あと少しすると、数万のゾンビがここに集まる。
引き付けるだけ引き付けて、私はここに火を放つ。
前に想像した通り、その炎は天まで上がることだろう。

その時まであともう少し。
今は目もくらむような花の香りに取り巻かれている。

ここで覚醒。