日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

扉を叩く音 (10) 彼岸

1日経ったので、頭が少し整理されました。
はっきりと声が聞こえる。(しかも、自分のお腹から。)
これは普通の人が想像するより、かなり大きな音で聞こえます。
まるで「気のせいではないぞ」と言わんばかり。
前に、知人と一緒にいる時に、テーブルのお皿が床に滑り落ちたことがありますが、知人は目でそれを確認し、「こういうのって本当にあるんだ」と驚いていました。
空想・妄想や作り話と決定的に違うと言えるのは、「見ようによっては、そう見える」というものではなく、誰が見ても、そういう現象だと確認出来るからです。

さて、夕方になり、たまたま郷里の老母より電話がありました。
老母は私の悩みを知っている人間の1人です。
そこで、つい愚痴をこぼしてしまいました。
「このところ、また始まった。夢見も悪いし、お知らせめいたことがある」
老母は一笑に伏します。
「今はお彼岸だからね。皆、亡くなった人を思い出すんだよ」
当方の場合、寝ている時ではなく、起きている時に起こっていますが、まあ、少しほっとします。

子どもの頃に、夜中に夢を観たので、それを母に話したことがあります。
近所の家の横にある大石の陰で、修験者(山伏)が倒れる。
その修験者は修行のため、山麓にある修験道場に行く目的で、そこまで歩いて来たのですが、体調を崩したのです。
修験者はそのまま亡くなったのですが、その死者の処置に困り、その家の人は石の傍らに埋めた、という内容でした。
母はまったく霊感の無い人でしたので、世間話としてその家の人に話したのです。
「うちの息子が変な夢を観て・・・」
すると、その日のうちに、そこの家に私が呼ばれました。
夕方になり、その家を訪れると、そこの家の人は「ここは、〇〇ちゃんが夢で観たことが実際にあったところです」と言いました。
昭和の初めに、その石の傍で山伏が行き倒れになり、そのまま埋めた、とのこと。

奇妙な出来事ですが、その時も母は笑い飛ばしていました。

悪縁の簡単な対処法は、「関わらない」「興味を持たない」です。
そういう意味では、老母の処し方も悪くはありません。

ただし、話だけではなく、また自分だけが確認出来るのではなく、物理的に異常な事態が起きてしまうと、さすがに動揺します。
まあ、誰も助けてはくれないし、知識は役に立たないので、自ら克服していく他はありません。