日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

今日の猫 (104)

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名栗方面は3度くらい気温が違うらしく、今が桜の盛りです。
大松閣から有馬ダムまでは、桜が連なっていますので、最後の桜を見に行きました。
思った通り壮観でした。
まだ散り始めておらず、数日は楽しめます。

帰路には、猫に会うために高麗神社に寄りました。
もはや4時を回っていましたので、いないかと思いきや、駐車場の片隅に座っていました。
いつも通りマグロ缶を与えます。
腹が空いていたのか、かなり焦って食べていました。
お皿だの猫ちゃん牛乳だの一式を揃えて持参しますので、猫の腹の空き具合に合わせて対応できます。

「ずいぶん、丁寧だね」と家人。
「愛しているから、当たり前だ」
「人間より待遇が良くなってる。オバさんなのに」

ところで、百日詣を続けている時には、第六感が鋭敏になり、誰もいない所で人の気配を感じるわ、鍵のかかっているドアが開かなくなるわ、で不審事が続いていました。
百日を達成した後は、まったく何ともなくなっている所が本当に不思議です。
一時は、「トイレに行くのも気持ち悪い」という、小学生並みの状態でした。
百日詣は、お百度と同じです。
こういう願の懸け方は、呪(しゅ)と実質的に同じなので、何か影響があるのかもしれません。
日頃何ともない人が試しにやってみれば、はっきりするかもしれません。
(まあ、何事も中途半端は怖いので、責任は取れませんが。)

いざ何ともなくなると、「一体、あれは何だったの?」てな感じになります。
逆にホラー話は幾らでも湧いて来ますので、怪談の類と、実際の第六感とは、まったく質が違うもののようです。

帰宅して、画像をチェックした家人が、「猫の写真はふんだんにあるのに、私のは2枚だ」とボヤいていました。