日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

(日高・飯能) 父親の気持ちだったとは  (109)

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この数日の間、天気が悪く、「猫だって外には出られないはず」と見ていました。
実際、高麗神社を訪れても、猫の姿はありませんでした。
今日(木曜)は久々に雨粒は落ちて来ません。
午後になったところで、「たぶん飼い猫なんだけど、それでもひもじい思いをしていれば不憫だ」と考え、出掛けることにしました。

駐車場に車を停めると、遠くの方に黒い影が見えます。
その近くには、母子の姿もあります。
あの猫は、ここのアイドルみたいな存在で、猫の様子を見に来る人も多いのです。

ゆっくりと近寄ると、猫が私に気づきました。
子どもを振り払って、こっちに駆けて来ようとします。
「参拝客皆に可愛がられた方が、この先生きて行くのには好都合だよな」
そう思って、一定の距離までしか近づかず、様子を見ました。

猫が途中で立ち止まり、こちらの表情を見ています。
「どうしちゃったの?」
そんな感じで私の顔を見ています。
ここで子どもが猫に近づき、抱き上げました。

参拝を済ませ、鳥居のところまで戻ると、猫はぐったりと地面に伸びていました。
「調子が悪いんだな」
この辺は、2、3日に1度くらいは様子を見ていますので、変化が分かりよいです。

今度は真っ直ぐに近づき、冷ましホットミルクを与えます。
マグロには手を付けませんでした。

やはり次第に生気が無くなって行きますね。
体のどこかに病気があり(たぶん婦人科系の癌)、それほど長くは生きられない。
「沢山の人に可愛がってもらうんだぞ」
そう言い残して、車に戻りました。

この猫のことを「キャバクラのお姉ちゃん」に例えたりもしましたが、少し違っているようです。
正確には「キャバクラで働く(自分の)娘」でした。
心配でたまらず、つい近くまで行って様子を見てしまいます。

先にこちらの方が見に行けなくなる可能性もあるので、余計に感情移入をしてしまいます。
実際には、たぶん飼い猫だし、たくさんのファンがいるわけですが、そこは親心みたいな気持ちからです。
この数日、自分の体調が良くなかったので、余計にそう思うのかもしれません。