日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

(箱根) 温泉にて

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 川崎である会合に出た後、そのまま夫婦で箱根の温泉に行きました。
 ダンナは幾度となく行っていますが、家人は初めてです。
 このため、定番の「彫刻の森」からです。
 ピカソ館を家人が1人で見た後(ダンナはパス)、ひと言。
ピカソはバカだ」
 オレもそう思うね。根性が曲がってる(笑)。
 昔なら分かったような顔をして眺めただろうけど、今は違いますね。
 コイツは本当に頭がおかしい。

 温泉ホテルは日曜泊りで、かつ改装直後だったせいか、客がひと組だけでした。
 すなわち全館貸切の状態でした。ちなみに急に予約を入れたので、それほど大きな旅館ではなく、30-40室くらいの施設でした。
 それでも申し訳ないくらいです。

 ところが、夕食の時から異様に吐き気がしました。
 せっかくのご馳走で料理も良かったのに、ほとんど食べられず。なんとなく、嫌な気がします。

 翌日、西湘バイパスに向かおうとすると、一本道なのになぜか「右折してください」の指示が出ました。一車線道路(山道)に入り、「次の分岐を右に」を繰り返します。
 「対向車が来たらどうすんだろ?」
 右折の繰り返しなので、また最初の道に出ました。
 さすがに、同じ床屋を2度通り過ぎたところで、「こりゃダメだ。これじゃあ、一生帰れない」と、最初の道を直進しました。
 「厚木方面に行くのなんか、本来、一本道だよな」
 不審に思いつつ、ゆっくり走ります。
 西湘バイパスには入らず、一般道を進むと、「また右折してください」の連続が始まりました。
 ぐるぐると山道を回って、一度通り過ぎた、同じコンビニの前に出ます。
 「まるで、帰って欲しくないみたいだわね」
 カーナビの指示図が完全に円を描いているので、家人がそれを撮影しました。
 「たぶん、どこかで幽霊を乗せて来て、それがオトーサンに興味を持っている。だから帰さないようにしてる」
 こういうのは、経験のない人は信じないが、当家では確信があります。
 なにせ途中では、明らかに「西(名古屋方面)に向かって進めと出ていました。まったくの逆方向だ、どんな機器の不具合でもあり得ない。
 箱根みたいに、「どこをどう行けばどこに繋がる」と知っている場所はいいけれど、これが初めてのところなら、かなりヤバイ状況になりますね。

 「女だな。オレは生きている女性にはまったくもてないが、幽霊の女にはものすごくもてる。ま、自分のことを見つけてくれるからなんだろうけど」
 暗闇に独りで座っている時に、傍を通り掛かってこっちを見る者がいれば、そりゃついて行きますって。
 しかし、やっぱり途中で車から下ろして帰ることに決め、小田原でお寺や神社を探しますが、うまく見つかりませんでした。
 仕方なく、数軒の店に寄りました。人込みに入ると、大体は別の人のところに行きます。
(貰ってくれる人にはスマンが、どうせ気づかないし、影響もないです。)

 家人が「旅館の写真に変なのが出てる」と言うので、見ずに「捨てとけ」と言い付けました。
 いつものことだし、関わらないのが一番です。
 「こんなものが」と不安になるのは結構ですが、捨ててしまえば何の問題も無いのに、大切に取り置く人の方が多いですね。アホかいな。
 この手のは、雨風台風と同じで、あって当たり前。台風の通った痕を記念に取り置いて、何がしたいのか(笑)。すぐに捨てれば影響はありません。影響があるものは写真ではなく、直接、その人に関わってます。写真自体に問題があるのではないです。
 昔、ある俳優がパンツの中に大麻を隠し持っていて逮捕されたことがありますが、彼は「もうパンツは穿かない」と言いました。問題があるのはパンツ(ここでは心霊写真)ではなくて、その人の頭の中です。

 まあ、こういうのが一切無くなれば、煩わしさが減ります。
 「幽霊なんか信じない」人は、本当に幸せです。

 逆にここから踏み込んで、世の中のウソツキ霊感師やスピリチュアルカウンセラーやらをなぎ倒す選択もアリです。心霊写真ひとつ、自分では撮れない程度のヤツのごたくが減ります。
 「亡くなったお爺さんが・・・」には本当に笑える(ウソ八百だもの)。
 自称「霊感がある人」はもっと酷い。ほとんど妄想・空想にすぎません。
 「真怪」現象は、多くの場合、物理的にあり得ない異常を伴います。
 これが無いのは「一切無視」で良い。
 少々のことなら、雨や風と同じです。あって当たり前だと思えば、どうってことはありません。
 まあ、怪談レベルの話はどうでも良いです。そんなのはイナガワさんから聞いてくれ。

 少々、ミソが付いたけれど、旅行は概ね楽しかったです。
 やはり時々は気晴らしをする必要がありそうです。
 家人に対し、常々、「離婚されることがあっても、自ら別れてくれと言い出すことは死ぬまで無い」と思っているのですが、今回その理由が分かりました。
 新しいものを見聞きした時に、ひとつ1つ、子どもみたいに「わあ」と驚いてくれるからでした。
 ダンナの数少ない理解者だし、今は感謝の気持ちしかありません。