日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

多くの場合何でもない

家人は学校勤務です。
その学校では、年度初めに新しい先生が赴任して来ると、けがをしたり病気になったりするそうな。
これが毎年起きるので、職員室で話題になったとのことです。
実際、家人も最初の年には、胸に出来たしこりを切除しています(おできです)。

ある先生が言うには、「病人やけが人が多いのは、この土地に悪縁があるから」なそう。
何故なら、その学校は元々沼があったところに建てられた。
水気の多い所には注意しなくてはならない。
だから、今年はお祓いをしてもらう必要がある。
そんな話になっているらしい。

「この世には説明のつかないことが実在する」のは確かです。
しかし、話が短絡過ぎやしませんか。
まるで、どこぞの霊感師やスピリチュアルカウンセラーが言うようなことですよ。

病気やけがは誰の身にも起きます。
いつ起きるかは明確には分かりません。
「たまたま」でないと見なされるのは、尋常な範囲を超えた時だけです。
例えば、30人の教師がいる学校で、1人2人が怪我や病気になっても、それは当たり前。
それが5人でも、まあ普通です。
新学期の初めに、「教師の半分が」とか「クラスの生徒全員が」、という段になって特別な要因を考えれば良いのです。
あるいは、職員室で皆が見ている前でお皿が宙を飛んだり、記念写真にこの世のものならぬ人影が鮮明に写っていた、などの場合にはもちろん、考慮する必要はあります。
(まれに起きます。)

「悪縁」は説明が楽で、簡単に飛びつきたくなりますが、それ以前に、物的環境から来る要因を調べることと、人事を尽くすことが大切ですよ。

妙な怖れを抱いたりすると、それに見合う相手を呼び寄せてしまいます。
「そんなのは関係ない」と声に出して唱えれば、どうってことは無くなります。

以下はある人の話です。
母親と娘の2人が、マンションを見に行った。
娘が就職したので、部屋を借りる必要があったからだ。
都心のマンションの「その部屋」は、家賃相場の6割くらいの格安物件だった。
きれいな部屋で、条件的には申し分なし。
娘はいまにも決めたそうに母親の方を見る。

ところが、母親は部屋に入ってからずっと胸騒ぎがしていた。
特に押入れだ。
そこに近づくと、ざわざわと気分が悪くなる。
そこで母親は不動産屋を問い詰めた。
「もしかして、この部屋で」
不動産屋はすまなそうな顔で答えた。
「すいません。ここは訳有り物件なのでお安くなっているのです」
やっぱり。
この部屋で、死んだ妻をダンナが押入れに隠していたという事件が起きていた。

「気落ち悪い。こんな部屋には住めない」
母親がそう言うと、娘がこう答えた。
「そんなの私にはどうでもいいよ。この世には、前に人が死んでいない場所を探す方が難しいもの」
娘には霊感らしきものはなく、さらに、その部屋の環境が最高に気に入っていたのだ。
結局、娘は母親の反対を押し切って、その部屋を借りることにした。
こうして娘はその部屋に入居した。
すると、その後で何が起きたかと言うと・・・。

何も起きませんでした。
起きていたのかもしれませんが、この娘は鈍感なので、多少のことには気づきません。
この手のことは「どうということもない」と思えば、何ら影響力を持たないものです。

「怪異現象には、本当の怪異現象と、そうでない思い込みがある」
そして、その大半が思い込みです。
こういう「井上円了主義」で処するのが適切な対処法です。
まあ、それでも、お祓いをしてもらうことで先生方の気が楽になるのなら、してもらうのがよろしいです。