日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎記憶がない

◎記憶がない

 大学院生の頃、父が商用のため上京したのです。
 季節は12月で、クリスマス直前だったような記憶があります。
 父は黒豆の新たな納品先を探すべく、上野の卸屋を回りました。
 父は地理不案内なため、私が駆り出されて、二人一緒に地図を片手に歩き回りました。

 この時、私は数日前から風邪を引いており、市販薬を服用していました。
 熱は38度ちょっとくらいではなかったかと思います。
 夕方になり、お寿司屋さんに入り食事をしました。
 ビールを飲み、お寿司をつまんだのですが、これがどれもこれも不味い。
 しかし、父は「そんなことはない」と言っていましたので、おそらく薬の影響で、何を食べても味気なく感じるようになっていたのでしょう。
 二人で私の部屋に戻り、その日はそこに泊まることにしました。
 体調が悪いのに加え、歩き回って疲れていたので、かなりしんどかったのですが、汗まみれで寝るのが嫌だったので、シャワーを浴びました。
 結果的に「やってはいけないこと」をきっちり揃えてしまいました。

 異変が起きたのは、夜中の2時頃です。
 既に眠っていたのですが、鳩尾の辺りがずしんと重く感じ、目が覚めました。
 しばらく、そのまま目を瞑っていたのですが、刻一刻と重さが増してきます。
 無意識に呻き声を漏らしていたのか、隣の父が目を覚ましました。
 「おい。どうした。どこか苦しいのか」
 「ちょっと胸が重い」
 私の家系は、大半が心臓病で亡くなっています。
 このため、父は「胸の異変」に敏感に反応しました。
 「ちょっと待ってろ」
 父は急いで服を着て、外に飛び出して行きました。

 後で聞くと、父が向かったのは、駅前だったそうです。
 駅前には交番があるので、救急病院を聞こうと思ったらしい。
 ところが、交番に警察官がいなかったので、父は灯りの点いている店に入って、そこの店員に訊いた。
 深夜でも開いていたことで分かるように、その店は風俗関係の店だったそう。
 「息子の具合が悪いのです。救急病院はどこですか」
 この質問に、人相の悪いオヤジは「自分で行くより、救急車を呼んだ方が早いよ」と、電話を掛けてくれたそうです。
 (ちなみに、その店はバリバリの丸ボーの経営で、普段は酔客からボッタくっています。その数年後に、その親父や店の客引きとは知り合いになりました。)
 おそらく、父が田舎から出て来た感じがありありだったので、助けてやろうと思ったのでしょう。

 父が部屋に戻って来るのと、ほとんど同時に救急車が到着しました。
 この時には、私は手足を動かすことが出来ない状態になっていました。
 救急病院はすぐ近くで、5分で着いた筈ですが、私はものすごく長い間、車に揺られている気がしました。

 担架に乗せられて、病院に入ると、すぐに救命室に直行します。
 ここから先の記憶は断片的なものばかりで、きれいに繋がってはいません。
 医師や周囲の人から聞くと、事態はこんな具合です。
 ・救命室のベッドに横になり、1分くらいで心停止した。
 ・医師がすかさず心臓マッサージを始め、数分後にまた心臓が動き出した。
 容態が安定したのが、30分くらい後です。

 この間、私の方では何とも説明の出来ない体験をしました。
 最も鮮明に憶えているのは、私が医師の隣に立って、心臓マッサージを受けている自分のことを眺めていたことです。
 喜怒哀楽の感情は無く、ただ茫然と見ているだけです。

 それとまったく同時に、私は救命室の外にもいました。
 廊下の長椅子に父が座り、救急隊員と話をしています。
 「若い人でも、突然、心臓が働かなくなることがあるのです」
 隊員の口調は、既に慰め口調になっていたので、よほど見立てが悪かったのだろうと思います。
 おそらく、二人とも私が死ぬだろうと思っていた。
 息子が突然死するかもしれない状況ですが、父はものごとに動じない性格なので、じっと話を聞いていました。
 その時、私はその傍に立ち、二人をじっと見ていたのです。

 こればかりではなく、まったく同時に、私は暗い洞窟(またはトンネル)の中にもいました。
 前後左右、どの方向も何も見えません。
 ただ真っ暗な闇があるだけです。
 そのうち、暗闇の先に光が見え始めたのです。
 ちらちらと瞬くその光はオレンジがかった色合いでした。
 少しだけ「行ってみようか」とも思いましたが、何となく、「あっちに行くと不味い」ような気もします。
 それから、随分と長い間、その場に立っていました。

 そのうち、3つの意識が不意にくるくると回って、ひとつになりました。
 気が付くと、私はベッドに寝ており、すぐ目の前に医師の顔が見えました。
 ここで、実際に経過したのは、わずか数分間だろうと思います。

 死に瀕した者が妄想を見ていたのかもしれませんが、父に話を聞くと、「お前が救命室に運ばれてから、廊下で救急隊員の人と話をした」と言っていました。
 私が話の内容や、隊員の言葉づかいを言い当てたので、父は少し驚いていました。

 この先のことがよく分かりません。
 心臓の症状は、一度危機を通り過ぎてしまうと、何ということもなくなります。
 症状が収まったら、あとは何ら異常を感じません。
 翌日、私は家に戻ったのですが、いつどうやって病院から帰ったのか、まったく記憶がありません。
 父の方も「それからどうやってお前の部屋に帰ったのか、まるで憶えていない」とのことです。
 動転したのか、安心したのか。火急の出来事があったので、記憶を放り出してしまったようです。

その時のことを思い返す度に、「もし妄想でなく、実際に体の外に意識があったとしたら、その時の自分は幽霊に近い存在だったろう」と思います。
物語など、人の口が語る幽霊は、怨念めいた恨み言を抱えているものですが、その立場に近くなってみると、喜怒哀楽はまったく感じませんでした。心が無かったのです。