日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夏の川柳 「夏競馬 三頭目には 総流し」

◎夏の川柳 「夏競馬 三頭目には 総流し」

 夏は有力馬が休みに入り、レースには出ません。
へっぽこ馬ばかりが出るレースは荒れることが多いので、最後は総流しにすることで高配当が拾えたりします。
 先週の函館記念では、前日に突然「マイネルミラノとツクバアズマオーが堅軸だ」と閃き、急遽、競馬口座に入金してガツンと勝負しました。
 逃げ馬マイネルミラノは展開にもよりますが、ツクバアズマオーは「函館では絶対に走る」確信があります。
 もちろん、自身が諺にしている通り、三頭目には総流しです。
 ここまでは、いつも通り「冴えに冴えている」状態です。
 結果は1着マイネルミラノ(3番人気)、3着ツクバアズマオー(10番人気)で、2着がさらに穴馬(12番人気)になっています。
 しかし、最も難しい三頭目は総流しにしています。
 少なくとも4百倍の「三連複は楽勝」のはずですね。

 ところが、私は外しています。
 何故なら、三連単だけで勝負に行ったから、です。
 「これは」と思うと、他には目もくれない性格(「一丁食い」)なのと、欲の皮が突っ張り過ぎていることが災いする結果になってます(苦笑)。
 「三連※」が無かった時代では、博打打ちは「とりあえずアガリ百万が目標」でしたが、三連複・単が出来てからは、これが「三百万(または五百万)が目標」にレベルアップしています。
 おそらく博打打ちは皆同じ心境でしょう。

 本題はここから。
 郷里の母から電話が来たので、この話をしました。母はボケ防止のため、孫と馬券を買っています。
 「楽勝だったはずのにしくじった。お袋はどうだった?」
 すると母は「当てたよ」と答えます(こともなげ)。
 母は本命に近いところから1頭を軸馬に決め、馬連で手広く流す戦法なので、こういうレースでは本領を発揮します。
 「1枚2枚ずつしか買わないから、大したことはないんだよ。でも私のようなのはこれしか出来ない」
 「万馬券を当てているのだから、十分じゃね?」
 八十の老母の方が数段、達観しています(トホホ)。
 
 最近、時々考えることはまさにそこです。
 「当てたい馬券を買うのではなく、当たる馬券を買っていれば必ずプラスが増えるよな」
 ところが、その場に立つと、「5百当てたい」「1千を召し取ろう」という気持ちに支配されてしまいます。
 そうなると、敵は自身の心中にあるようです。
 「外れるように、外すように」買うのは、「焼きが回っている」ことの証拠なのですが、その反面、いつも直前で「冴えに冴えている」一瞬がありますので、何とも言えません。

 大勝(おおがち)の 一瞬後に 隙間風

 昔の知り合いに高額麻雀のチーフがいました。
 その男は、元は三※重工の管理職でした。
 風貌は背が高くてハンサムです。職場(マンション雀荘)には高級スーツで通勤していました。
 前職は部下の女性との不倫が原因で退職したのですが、やはりトコトン博打が好きでしたね。
 表向きは「しがない雀荘のメンバー」でしたが、毎日、高額レートの博打を打っていました。
 ひと月で前職の年収を超える上がり下がりがあったはずです。
 心の中では、果たして何を思っていたのでしょうか。