日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎あの世が近くなって起きること

◎あの世が近くなって起きること
 今回の危機の始まりは、2年半くらい前。
 3度目の心臓の治療が終わってから、1年くらい経った頃から、腎臓の異常が見つかりました。毎月毎月、数値が悪くなっていくのです。
 最初のうち、医師は持病である「すい臓の影響なので、生活習慣をきっちり守ること」と言っていたのですが、よく調べてみると、心臓の治療の際に使う造影剤の影響でした。
 この辺、医師はよく知ってはいますが、患者にはあまり言いません。
 
 腎臓が悪くなってくると、さらに心臓が悪くなります。
 カリウムを排出できず、不整脈心不全が起きるようになるのです。
 1年半前には、日帰り温泉で発症し、午前11時から夕方6時まで、休憩室で意識を失っていました。このときが最大の危機で、本当に死なずに良かったです。
 湯船で具合が悪くなったのですが、まともにパンツも穿けず、ようやく休憩室まで辿り着いたのですが、既に「救急車を呼んでください」と言えない状態でした。
 がったりと畳に倒れ、そのまま鼾を掻いていたので、他の客に「迷惑な客だ」と思われたことでしょう。

(1)体調の著しい悪化
 そこからはドロドロの生活です。
 朝起きて何かをするのが苦しくて、10分と立っていられません。
 起き上がってすぐにへばり、また起き上がってへばる、の繰り返しです。
 狭心症心不全が時折起きるのですが、15分くらいの発作がいざ収まると、今度は検査をしても、異常を細くし難くなります。
 「胸や鳩尾、脇の下がぎゅうっと重くなる」「脂汗がダラダラ出る」「手足が重く、部分的にしびれる」などの症状が出たら、かなりヤバイ状態です。
 すぐに収まるのが特徴で、収まるのが早いほど、患部が心臓である確率が高くなります。
 一発であの世行きの人も相当数居ますので、とりあえず、「ただちに救急病院に走る」のが正解です。たまたま検査に出なくても、必ず行くこと。

 この辺からは、病状の進行を止められなくなりまず。
 何をどうしても病状が悪化します。
 起きられない日が多くなることもあって、気持ちが塞ぎます。気持ちが昂ぶるので、言動も過激になります。

(2)幻聴や幻視
 おそらく、体の循環が悪いことが原因だと思いますが、幻聴が聞こえるようになります。
 壁の向こうで話し声がする時と、同じような感じで、「カヤカヤ」と人が話す声が聞こえるようになります。割舌は明瞭ではありませんが、声自体は比較的大きな声です。
 声だけでなく、気配も感じます。足音がしたり、物が落ちる音がしたりするわけです。
 体の具合は悪いわ、この世のものならぬ音を聴き、姿を見てしまいます。
 多くは、病気のなせる業で、幻聴幻視が大半です。

(3)悪夢
 眠りに就くと、悪夢だけを観ます。これはいつも「夢の話」に書いていましたので、状況は分かりよいと思います。とにかく、「眠ると悪夢」の繰り返しです。
 医師に訊けば、間違いなく「病気による心神耗弱によるもの」と答えることでしょう。
 実際、その通りだろうと思います。

(4)説明のつかない事象
 ところが、体調不良が原因で、実際には存在しない音や影が見えているだけかというと、必ずしもそうではありません。
 写真を撮影すると、時々、妙な光や煙の玉、人の姿らしきものが画像に入り込んでいます。一部はブログにも掲載しましたが、他人には見せられないものも多々あります。
 (見せないのは、少なからぬ無駄な影響が生じるためと、それを目にした瞬間に気分が悪くなるためです。)
 合理的に考えれば、これらは「心神耗弱によるもの」とは考えられません。
 音も次第に大きくなり、他に誰も居ない家の中で「ドタン」「ドタン」という足音が響くようになりました。
 こうして、いよいよ、ベッドから起きられない状態になり、心臓の治療を決断しました。
 心臓の治療をすると、腎臓が完全に破壊されますので、それまで先延ばしにしていたのです。

(5)リアルさを増す幻視
 この決断がやや遅かったきらいがあり、入院してすぐに心臓の治療を受けたのですが、経過はあまりよくありませんでした。
 治療自体は成功したのですが、病院のベッドから起き上がれない日々が続きます。
 病状が最も深刻な時期には、現実と見まごうよう名幻覚を見ました。
 ベッドに横になっていると、カーテンが開き、男二人が顔を覗かせました。
 爬虫類を思わせるような凶悪な顔で、いかにも悪人面をしています。
 それを見た瞬間、頭の中で直感が閃きました。
「こいつらは死神だ。オレを連れ去りに来たのだ」
 思わず、「この野郎。こっちに来るな」と叫びました。
 しかし、男二人はニヤニヤ笑いながら近づこうとします。
「ああ。拙い」
 男たちは手の届くところまで来たのですが、そこで止まりました。
 よく見ると、私と男たちの間に、水族館で見るアクリル製の水槽のような透明な壁があったのです。
 男たちはそれに触れると、「チッ」というような舌打ちをして、背中を向けたのです。
 後になり、「あれは現実のものではない」と思うに至ったのですが、見え方そのものは、夢や空想ではなく、質感、重量感のあるもので、現実と見分けがつかないほどです。
 それを幻覚と判断するのは、夜中の十時ごろには面会が許されてはおらず、病室に一般人が入ることがないからです。それと、人間としてはあまりに凶悪過ぎる表情でした。

(6)退潮
 それから数週間し、病状がゆっくりと落ち着いて来ました。
 もはや健康な体にはもどれず、治癒はしないのですが、それなりに安定します。
 ひと月後には退院し、家で寝たり起きたりの生活になりました。
 この頃の最も顕著な変化は、悪夢を観る回数が著しく減ったことです。
 それまでは、「眠ると悪夢」の連続でしたが、徐々に三日に一度になり、週に一度になり、と減って行きます。
 退院後ひと月半が経った頃、通院のためバスに乗ったのです。
 突然、鳩尾が重くなり、立っていられなくなりました。脂汗が滴り落ち、動けなくなります。心臓の治療の後にはよく起きるのですが、ぶり返しの心不全が来たのです。
「あと五分で病院だ。我慢しよう」
 倒れそうになるのを、そのまま耐えます。バスを降りると、一分で病院の窓口に着きます。そこで状況を伝えると、すぐに処置して貰えます。
 しかし、そこまで歩くことが出来ず、バスの待合席に腰を下ろしました。
 「いざとなったら声を上げよう」
 その場に座っていたのは五分くらいでしょうか。
心臓の発作は、通常、十五分程度で収まることが多く、通り過ぎると何ともなくなります。発作が鎮まったので、立って診察室の方に行きました。
 退院後の危機のヤマはこの時で、この発症で亡くなる患者が多いのですが、幸い死なずに済みました。
 その後は、次第に苦痛が減り、起きられる日が多くなりました。

(7)後遺症
 それから、ほぼ半年後が今。
 病状が安定し、無理をしなければ、健康な人とそれほど変わらない状態です。
 立っていられない状態になるのは、週に一度程度で、軽い運動も出来るようになっています。
 悪夢もほとんど観なくなり、「ごくたまに」程度です。健康な時と変わりません。
 幻視もありません。この世のものならぬ存在を見ることが無くなりました。
 
 ただし、今も残っているものもあります。
 「物音」は聞こえます。他に誰も居ない筈なのに、家の中で頻繁に足音がします。
 「声」も時々聞こえます。壁の向こうで誰かが話す声が「カヤカヤ」と小さく響きます。
 通常、「物音」と「声」はセットになっています。これは現実のものとなんら変わりない。
 幻聴なのか、実際に鳴っているのか区別がつかないのですが、おそらく実際に鳴っていると思います。
 当家では、何年も前から、深夜1時から3時の間に玄関の扉を叩く音がするのですが、その音は私だけではなく他の者にも聞こえています。それと同じで、足音や声は私一人の頭にだけ響いているものではありません。
 それを示すのは、「勝手にドアが動くこと」によります。
 窓を閉め切った家の中で、居間の扉が急に動き、「バタン」と音を立てて壁にぶち当たります。まるで、誰かが大急ぎでそこを通り過ぎたような状況です。

(8)生死の狭間では
 多くの人が書き残しているように、死期が近くなると、この世のものならぬ音や存在を体験するようです。
 おそらく、大半は心神耗弱状態によって引き起こされたもので、体調の悪化によって生じたものだろうと考えられます。麻酔や薬物が影響することも考えられます。
 ところが、それとは別に、説明のつかない現象も確実に起こっています。
 実際に画像が残っていますので、「気のせい」では説明できません。
 数割程度は物理的な現象として、実際に発生しています。

(9)肉体の意味
 今回の体験を経て、知ったことが幾つかあります。
 そのひとつは、「肉体は防波堤のようなもの」であるということです。
 肉体は欲望の源で、精神の透明さを損ねるもののように考えられがちです。
 ところが、肉体は自我の存在を意識し、他と隔てるために機能しています。
 そのことで、他の者の考えに邪魔されにくい状況となっています。
 魂だけの存在になると、自他を隔てる境目が曖昧になってしまいます。すると、自分の考えなのか他の者の考えなのかが区別出来なくなってしまいます。簡単に言うと、交じり合ったり、強い者に乗っ取られたりしてしまいます。
 健康な肉体にはそれがありません。すなわち、肉体があることで、自我が保たれるし、心を澄ますことが可能になるということです。
 ものごとには表と裏があり、一長一短があるものです。肉体が壁になって遮ってくれるので、別の魂に乗っ取られ難くなる替わりに、自己の欲望に支配されるようになってしまいます。
 肉体はよく「舟」に例えられます。舟の上にいるから、人は浮かんでいられ、それが無くなった瞬間に水に落ちてしまいます。しかし、ずっと舟の上にいるので、空気と同じように、舟が存在することを忘れがちになってしまいます
 今、はっきりと分かったことは、舟(肉体)が存在することで、自分が水に落ちずに済んでいることと、落ちた瞬間に自分も水に同化するだろうということです。
 要するに、舟の上に居る私自身も水だということです。