日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

呼び込んだらダメ

家人の勤務先で、ある年配の同僚男性がかなり前からこういう話をしていた。
「ここはもの凄く気持ちが悪い。元は沼だったところを埋め立てた場所だというし、その沼には女の悪霊の言い伝えがある」
年度初めには、この職場では決まって数人が怪我したりするそうで、その度に「ここがよくない場所だからだ」と言っていた。
最近、その男性の息子さんが交通事故で亡くなったそうで、男性は「やはりここが悪い。早く移ればよかった」と毎日悔いているとのこと。

前にも書いたと思うが、その職場の職員は40人くらい。
その中で数人が怪我をしたりするのは、別に普通に起きる範囲。
年度初めで、転勤してきた人は、不慣れな場所に通勤するため、交通事故等の確率が高まる。
もちろん、これが「20人が同時に」なら話は別だが、5、6人がトラブルに遭うのは起こりうる事態だ。

概ね「思い込み」に過ぎす、どうってことの無い人には何ら問題はない。
だが、もちろん、それが総てではない。
最も不味いのは「悪縁探し」をすることで、不都合な事態、不慮の事故が来た時に「土地柄や悪縁のせい」にすること。
いつもいつもそう考えていると、そういう出来事が来た時に「やっぱり来た」と考える。
それでさらにいっそう、その考えに囚われてしまう。
また、そういう悪縁を習慣的にイメージしていると、実際に寄って来る場合もある。

対処の仕方は次のとおり。

1)無視し、一切気にしない。(既に「気になっている」状態なので、これは別枠。)

2)「なんだか気持ちが悪い」と感じた時点で遠ざかる。
 皆に同じように起きるわけではなく、その人だけに悪縁が降って来ることがあるため、最も簡単なのは、いち早くそこから離れる。転勤願いを出すか、転職する。

3)立ち向かう。「ではないか」と思った時点で、きちんと対処する。不都合な出来事の要因を確かめたり、お払いをしたりする。ただし、宗教的な行事は気休めのことが多い。霊能者を頼んでも、効果は「その時々」または「たまたま」だ。他力でどうにかなるほど甘くはない。

2)は、時間と労力、そして周囲の理解を必要とする。
「あの世」のことは、人によってまったく信じないことがあるので、そういう人に理解を求めると、説得する側のエネルギーが無駄に消費される。
まずは「近寄らない」のが賢い選択だと思う。

この方の場合は「悪縁のせい」と念じることで、「(悪縁を)呼び寄せている」のではないかと思う。
「一切関わらず、関心を持たない」のが肝要だ。