日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎どれもこれもウソ

◎どれもこれもウソ

米国やロシアがイラク・シリアを爆撃するときに、必ず「テロリストの拠点を攻撃した」と言う。
報道だと「文字」で考えるため何とも思わないのだが、よく考えると、テロリストが固まって住んでいる街などこの世に存在せず、爆撃されたのはごく普通の街だ。
何人かのテロリストが出入りしているかもしれないが、一般人のほうがはるかに多いし、女子どもが沢山いる。
やっぱり、そういう一般人たちを無差別に殺している。
こういうのはテロと大して変わりないと思う。

もうひとつ、「テロリストが人間の盾を使っている」という表現もあるが、これもワンサイドストーリーだろう。
テロリストだって、普段は普通の生活をしているわけだから、他の人たちと関わって生きている。当たり前だ。
「テロリストの拠点の街」「人間の盾」とかは、相手を悪人としてイメージ付けるための言いまわしだし、一般人を殺すことを正当化するためのものだろう。
テロで殺された西洋人の数と、爆撃で殺されたイラク・シリア人の数を比べてみろ。
1対何十万の違いになる。
報道されるのは、街で死んだごく少人数のほうで、爆撃されて死ぬ何十万人は名前すら分からない。

自分の家族が無差別爆撃で殺されたら、やはり復讐しようと思う。
敵が強大なら、おそらくテロに走る。
それしかできない、方法がないからだ。

2013年にイラク・シリアに有志連合が爆撃した回数は600回を越えていたと思う(記憶なので不確か)。
そうなると、「やったらやりかえせ」を繰り返していたのでは、争いが果てることはない。殺戮に飽きるか、どちらかが死滅するまで殺し合いが続いてしまう。
長い歴史の中では概ね後者で、結局は皆殺しにして恨みの連鎖を断ってきた。
しかし、今は戦国時代でも、中世でもない。
こういう時は、比較的利害関係の薄い者が仲裁に立ち、「まあまあ、ちょっと手を止めて考えてみよう」と言う必要がある。
頭を冷やす時間をとれば、殺し合いの馬鹿らしさに気づく。

日本は戦争を放棄しているので、その立場を担える可能性があったが、総理大臣が「テロと戦う」と大見得を切ってしまったので、もはやそれも出来ない。
正規軍が無いのに「戦う」とはナンセンスな話だが、それに見合うように憲法を変えるらしい。
自分が戦地に行かないことが前提なので、何でも言えるが、やるべきことの順番が逆だ。

平和主義では解決しないことも多いが、しかし、中間的な立場の交渉人がいるのといないのとでは大違いだ。
今の戦争では核兵器が使用される恐れがある。
どこの国が使用しても、人類の大半は死滅してしまう。
ところがそういう威力を、米国やロシアがまったく知らない。
米映画の『今そこにある危機』だったかでは、戦術核を打たれた都市の残骸の中を主人公が平気で歩いていた。ありえない話だが、米国市民の意識はそんなもんだ。
北朝鮮などは核実験で地殻変動まで誘発させている(震度5地震を引き起こした)。ひとつ間違えれば、実験の段階で人類を死滅させる可能性がある。

人間は1日に3度ウソをつくと言う。(ちなみにオレは8度だ。作り話を書いているので当たり前だが。)
大統領とか総理大臣といった「エライ奴」ほどひどいウソをつく。
国会議員あたりでも、「下手なウソ」を毎日ついている。
メディアはその御用聞きだから、テレビや新聞で流されることをまともに聞いていたら、真実を見失う。
ネット情報なんぞはそれこそ鼻のクソだ。