日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第523夜 心霊写真

◎夢の話 第523夜 心霊写真
18日の午前2時に観た夢です。

秋祭りを観に行った。
数十万人が集まる祭りで、道路を神輿が練り歩く。
神輿も20台を超える数だから、車道は参加者、歩道は見物人で一杯だ。
「これは写真に撮っとかねば」
カメラを出して、神輿を担ぐ人々を撮影した。

帰宅して、画像を点検したのだが、途中で何だかヒリッとした。
「何だろ」
もう一度見直した。
すると、神輿を担ぐ男2人の間に、顔が覗いていた。
正確には顔の1/5くらいで、片目だけがこっちを見ている。
最初は子どもがいるのかと思ったが、足元には2人分の足しかない。
「おいおい。これって」
まさかね。たまたま人がしゃがんだか何かして、偶然、こういう風に見えたってことだろう。

翌日は所用があり、駅に向かった。
駅前では昨日の祭りの後片付けをしていた。
「まさに宴の後って感じだよな」
ねぶたの山車みたいな大人形が分解され、トラックに積まれるところだった。
物悲しさが気に入って、ここで写真を撮った。
帰宅して、画像を開いてみると、屋台の車輪のところに顔が写っていた。
写ったのは女で、車軸の隙間からこっちを見ている。
顔の真ん中が車軸で隠れているが、視線はバッチリ俺を見ていた。
髪は肩までで、ワンピースを着ている。
でも、見えるのは胸までで胴体が写っていなかった。
「こりゃ不味い。たぶん、これって心霊写真だよな」
そこで、前日のと、この日のとの両方とも廃棄した。
俺は景色を撮影するのが趣味だが、やっぱり時々変な写真が撮れる。そういう時には、俺はすぐに捨てることにしている。
「こんなのが撮れちまってさ」などと、知人や友人に見せたくなるのだが、そういうのは、その霊に関わろうとする行為だからあまり良い振舞いとは言えない。
ご供養とかお焚き上げとかを考える必要は無く、ただ捨ててしまえば問題はない。
相手は関わりたくて写っているのだから、関わらずに無視すればそれ以上寄っては来ない。

都合の良いことに、捨ててしまえば、大体の人はそのことを忘れてしまう。俺もそうだ。
他人に言おうとしても、現物がないのだから、その話を聞いた人に「ウソツキ」と言われかねない。だから他言もしなくなる。
女と別れる時と同じで、住所とか電話番号、メルアドの一切を捨ててしまえば、こちらからは連絡出来なくなる。潔いだろ。

次の日はT京駅まで、人を見送りに行った。
転勤で地方に行く知人がいたためだ。
当分は会えないだろうから、新幹線の前で、知人とその奥さんの記念写真を撮った。
家に帰って、その写真を開くと、二人の隣に女が立っていた。
その時にはそこに居なかった女だった。
「おいおい。またかよ」
今度は全身が写っている。
髪は肩まで。色白で整った顔立ちだ。
この手の写真にはありがちだが、幽霊っぽいおどろおどろしさは微塵も無く、ごく普通に立っていた。普通の人との違いは僅かだが、眼の奥に「心」がない。まったくと言ってよいほど無表情だ。
知人の記念写真だし、相手にも送ってやりたいので、俺は画像を調整しようと試みた。
その女を除去して、画像のサイズを変えて・・・。
だが、その女は知人の手を握っていたので、どうやっても無理だった。
俺はここで諦めて、その画像を捨てた。

「最近、毎日だよな」
溜息が出る。
でも、俺はここであることに気がついた。
写真に写っていた女は、皆同じ女だ。
「あの女。※※の腕に掴まってたな」
※※は大丈夫なんだろうか。
でも、ここで俺はもっと大事なことに気が付いた。

「なんてことだ。あの女。俺に少しずつ近付いているじゃあないか」
女は俺のいるほうに来ようとしているのだった。

ここで覚醒。

眼が覚めてから、私は恐怖に震え慄きました。
その理由は、最初の祭りの2人、2枚目の山車の近くに立っていた人、3枚目の知人夫婦と、夢の登場人物がすべて実在の人だったことです。