夢の話 第525夜 生き神さま
14日の午後十時に観た夢です。
我に返ると、オレは車を運転していた。
これから峠を越えようとしているのだ。
車が頂上付近に差し掛かると、小さな茶屋があった。
店は営業していないが、自動販売機の灯りが点いている。
「コーヒーでも買うかあ」
オレは車を駐車場に入れた。
茶屋の駐車場スペースは5台分だけだが、他に訪れる人も無いようなので、オレは3台分にまたがるように乱雑に停めた。
缶コーヒーのボタンを押すと、ちゃんと温かいヤツが出て来る。
「良かったなあ。人生最後のコ-ヒーが飲めて」
これがたぶん最後だ。だって、オレはこの先の山の麓に分け入って、そこで死のうと思っているのだ。
オレはもうかれこれ十数年もの間、病気に苦しめられている。
断続的に入退院を繰り返して来たから、ささやかな蓄えは底を突いたし、女房とも離婚した。
5歳の娘がいたが、離婚した時に女房が連れ去ったので、もう3年も会っていない。
もう8歳になっているはずだが・・・。
最近、医者から「あと3ヶ月」と言われてしまい、オレはついに人生を諦め、死ぬことにしたのだ。
オレの病気なら、治療をやめれば数日で死ぬ。だから、3、4日薬を飲まずにいて、体が動くうちに死に場所に行けば、何もしなくともたぶん2日くらいでお陀仏だ。
睡眠導入剤や練炭が必要ないので、これが自殺だと分かる人は少ない。
そういった事情で、オレはあまり人が来ないような「かつての観光地」を訪れたというわけだ。
体はもう極限に近いから、オレの頭はズキズキと痛むし、鳩尾はずしっと重くなっている。
しかし、苦しいのは嫌で、麻薬成分のある処方をして貰っているから、この状態でも運転は出来る。
オレはコーヒーを飲み終わり、缶をゴミ箱に捨てた。
「さてと」
車に乗ろうとして、道の方に目をやると、二十メートルくらい先にバス停があった。
バス停は、田舎で見かける「丸い頭が上に付いているポ-ル」で、下には小さいベンチが置かれている。
「こんな峠道でもバスが来るのか」
狭い片側1車線だし、そんな道路を路線バスが走ったら、すれ違うのも大変だ。
バス停の下のベンチは叢の陰に隠れている。しかし、何だか、もぞもぞと人影が動いているような気がした。
「え。客がいるわけなの?」
この茶屋以外に人家はないし、一体誰が乗るんだろ。
オレは何となく興味を覚え、3歩前に出て、ベンチに座る人が見える位置に移動した。
すると、驚いたことに、そこに座っていたのは十歳くらいの女の子だった。
女の子が一人で座っていたのだ。
「おいおい。大丈夫かよ」
こんな山の中で、子どもが一人きりで座ってたら、通りすがりの変態の餌食になってしまうかもしれん。
オレはその子に近付いた。
「ねえ。お嬢ちゃん。独りなの?」
(頭の中では、「この状況は、まるでこのオレが変態オヤジの役だよな」と考えている。)
女の子が顔を上げる。
「ウン」
「お母さんとか、兄弟は一緒じゃないの?」
「皆、バスに乗って行っちゃった」
「乗り遅れたの?」
「そう。2時40分のに乗るはずだったの」
時計を見ると、今は3時前だった。
「それじゃあ、すぐ追い駆ければ、追いつけるかもしれないな。小父さんの車でバスを追い駆けるかい」
女の子が頷く。
これで、傍から見れば、オレは完全に不審者だろうが、そこは致し方ない。
「この道は一本道だし、バスのスピードなら追い付ける。すぐに、オレの車で行こう」
オレはその子を助手席に乗せ、車を発進させた。
バスが通れる道はこの道だけなので、道なりに走れば良い。
おそらく20キロも行かないうちに、前のバスに追い付く筈だ。
とんだ寄り道になったが、それも人生最後の善行だと思えば良いわけだ。
道なりに車を進めるが、なかなか前の車が見えて来ない。ま、田舎だから、対向車だって1台も来なかった。
「かなり先に行ったようだね。もうちょっと待ってね。すぐに追い付くから」
オレはアクセルを強めに踏んだ。
びゅうっと加速する。
するとエンジン音に紛れて、隣の女の子が鼻歌を歌っているのが聞えて来た。
「死神さまはアサコさん。※○◆△□◇☆※のお婆さん。生き神さまはマユコさん。※○◆△□◇☆※の女の子。」
まるで、子守唄というかマザーグースみたいな節だ。
何度か聴いているうちに、オレはその歌の言葉を耳に留めた。
「生き神」だと。
「ねえ。その生き神ってのは何なの?普通はその言葉は、生きている人間なのに、神さまだって意味なんだけど」
女の子が首を振る。
「違うよ。生き神と死神は姉妹なんだよ。同じ時に生まれたの」
「え?だって、死神のアサコさんはお婆さんなんだろ。生き神のマユコさんが女の子じゃあ、トシが随分と違って来る」
「でも、姉妹なの。お姉さんがマユコさんで、妹がアサコさん」
「おいおい。バーサンのほうが妹なのかよ」
「そうなの」
「ふーん」
ま、子ども向けの戯れ歌なんだし、深く考えることもないか。
「ところで、妹の死神が何するひとかは分かるけど、生き神さまの方は何をするんだい」
ここで女の子がオレの顔を見る。
(この子は随分と整った顔つきだな。将来は美人さんになりそうだよな。)
「マユコさんは女の人に赤ちゃんを入れてあげたり、人の寿命を延ばしたりするんだよ」
「なるほどね。人をあの世に連れて行くのが妹のアサコさんなら、お姉さんのマユコさんは命を与えたり伸ばしたりするわけだ」
「そうだよ」
「なら、もうちょっと早くマユコさんに会いたかったね。オレはこの十年で・・・」
思わず愚痴をこぼしそうになったが、オレはこの子がほんの子どもだってことを思い出し、そこで止めた。
すると、女の子がオレの身の上に興味を持ったらしい。
「つらかったの?」
「いや。きっと誰だってこんなもんだよ」
誰でもいつかは死ぬ。死に間際になったら、それが何歳でも、どういう状況でも今のオレみたいな心境になるだろう。
オレが心底つらいのは、「父親だったのに、娘とほとんど触れ合えなかった」ということだ。ちくしょう。
「オレにはね。君みたいな年頃の娘がいるんだ。今は母親のところにいるけどね」
「会いたい?」
「うん。まあ」
「それなら、会いに行けばいいじゃない」
でも、元の女房は再婚して別の男と暮らしているし、オレはもうボロボロの体だ。
こんな死に掛けの情けない姿を、娘には見せられない。
「でも、オレの娘は、こんな父親にはきっと会いたくないよ」
すると、女の子が少し声を上げて答えた。
「そんなことないよ」
オレは少し驚いて、女の子を見た。
女の子はもう一度同じ言葉を繰り返した。
「そんなことないよ。小父さん」
この時、前の方にバスが見えて来た。
「あ。あのバスだね」
オレはさらにアクセルを踏み、バスに近付く。
バスの真後ろに着くと、オレはパッシングをして、クラクションを繰り返し鳴らした。
50辰曚匹妊丱垢止まったので、オレはバスの前に回って車を寄せた。
先にオレが車を下り、バスの運転手のところに走った。
「おおい。女の子が一人、『バスに乗り遅れた』と言っていたから、連れて来た。その子を乗せてやってくれないか」
「あ、いいですよ。全員乗せたと思ったのに、置いて来ちゃってたのかあ」
ああ良かった。
オレはここで、オレの車の方に手招きをした。
「おおい。乗せてくれるってさ。こっちにおいで」
車のドアが開き、女の子が走って来る。
ブシュウッとバスの扉が開いた。
女の子がステップを上がり掛けたところで、くるっと振り向いた。
「小父さん。お嬢ちゃんのところに行ってあげなよ。きっと待ってるよ」
「そうかなあ」
心が揺れる。確かにオレの人生は残り少ないわけだし、最後に娘に会って置きたいような気もするなあ。
「小父さん。行くって約束して」
眼が真剣だ。
「分かった。小父さんは自分の娘に会いに行きます。約束する」
女の子が微笑む。
「小父さん。じゃあ、私は小父さんにプレゼントを上げる」
女の子は手を伸ばすと、オレの頭とお腹に触った。
その瞬間、オレの頭痛が消え、鳩尾の重石がすっと無くなった。
まるで、さわやかな夏の朝に、高原の別荘で目覚めた時のような心持だ。
陳腐な言い方だが、本当にそんな気がしたのだから仕方が無い。
「小父さん。これでしばらくは大丈夫だよ。ずっとじゃないけどね。だから、頑張って」
女の子はそう言うと、ステップをトントンと上がって行く。
オレは慌てて、その子に声を掛けた。
「ねえ。君の名前は何ていうの?小父さんはまだ聞いていなかった」
すると、女の子は振り返って、ひと言、「マユコ」と答えた。
その瞬間、女の子とオレを隔てるように、バスの扉がブシュウッと音を立てて閉まった。
ここで覚醒。
実は続きがありますが、続きはこうでした。
オレは呆然とバスが去るのを見送ったのですが、あの女の子が座席に女の人と並んで座っているのが見えました。その女性はお婆さんではなく、34、5歳の美人でした。
バスの中には沢山の人が乗っていたのですが、でっぷりと太ったオヤジジイとか、頭の長いジーサンが居ました。
「ありゃりゃ。あの子の隣に居たのは弁天さまか」
もしかして、死神ってのは弁天さまなのか?
そこで気が付いたのは「この月は神無月だ」ったってことです。十月の話だったわけです。
なるほど。皆で伊勢だか出雲大社だかに行くところだったのかあ。