日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎百寺巡礼 その3 飯能市 滝不動    (282)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6


◎百寺巡礼 その3 飯能市 滝不動
 不動明王のすばらしいところは、「悉く衆生を救う」ところです。
 先日、家人と外出した折に、「お不動さまは、なぜ険しい表情をしているのか」と訊かれたので、ダンナは得意気に答えました。
 「不動明王は、善人悪人を問わず、人を救済してくれる。そういう決意で居ることを示しているのが、あの表情だ。だから、オレみたいなやさぐれ者とか、わがままなお前でも救ってくれる」
 家人は外国籍なので、後段が届かなかったようで、「じゃあ、薬中毒で大統領に殺される人も救ってくれるわけね」と納得していました。
 まさにその通り。
 あの眉間に皺を寄せた顔つきは、「お前らがどんなに愚かなクズどもでも、オレは救ってやるからよ」という意思を示したものなのです。(仏に人格はありませんので、あくまで方便です。)
 ヤクザ者の多くが背中に不動明王を入れるのは、そういう理由があるわけです。

 さて、私の病状が日々深刻になりつつある時に、こんな夢を観ました。
 家人と一緒に道を歩いていると、後ろのほうから、もの凄い数の群集が近付いて来ます。
 顔が分かる距離まで来ると、その群集は、見るも恐ろしい亡者たちで、まさに百鬼夜行でした。
 ざっと見て、東京競馬場に人が一杯入ったときの人数に見えましたので、十万人を超える亡者の群れです。
 「追い着かれたら大変だ」
 私は家人の手を握り、走って逃げますが、五十メートルくらい後ろまで迫られてしまいました。
 必死で逃げていると、前のほうに山が見えて来ます。
 その山の横まで到達し、上を見上げると、仏さまが険しい表情で、見下ろしていました。
 その仏さまの背中には火炎がぼうぼうと燃え盛っています。
 それを見た瞬間、私は「助かった」と胸を撫で下ろしました。
 そんな夢でした。

 それが不動明王で、どういう仏かを知ったのは、その後の話です。
 今考えると、そのお不動さまが救おうとしていたのは、私たち夫婦ではなく、後ろに居た亡者たちだと思います。
 私たちは、まだ生きており、自分たちで発心し救われることが出来ますので。
 これがご縁となり、お不動さまに会った時には、必ず立ち寄り、手を合わせることにしています。

 こちらは「滝不動」の名の通り、お不動さまの背後に滝が見えます。悲しいことに、「最近、賽銭箱が荒らされるので、東側の賽銭箱には入れないで下さい」と書いてありました。
 お不動さまは「善人だけが救われる」などと狭量なことは言いません。
 「自分を信じた者だけが救われる」なんてことも言いません。
 「自分たちの宗教だけが人を救済できる」などとももちろん言いません。
 (ま、宗教は人が作ったものです。)
 そうなると、悪人にとっても、お不動さまは「最後の砦」です。
 きちんと敬うようにしましょう。

 帰路には高麗神社に参拝しました(282)。