◎不動明王 (401)
これはまだ5歳頃の記憶です。
私が最初に住んでいた家は国道沿いに建っており、2階の窓から外を見ると、車や人が行き来するのが見えました。
暑い夏の盛りで寝苦しく、私は午前2時頃に目を覚ましたのです。
昔の商家風のつくりで、2階の部屋は廊下を隔てて、すぐに窓。窓は5歳の私でも容易に手が届く高さでした。
暑さで息苦しいので、窓を開け、外の空気を吸います。
北国なので、窓さえ開ければ、涼しい風が入って来ました。
何気なく、北の方角に目をやると、何やら沢山の人の気配がしました。
暗闇の中、国道を大勢の人が歩いて来るのです。
すぐ近くの姫神山は修験道の拠点で、昭和40年代には、山伏が道を行き来していました。深夜でも、山伏が山に向かう姿を見るのは、珍しくありませんでした。
しかし、この時はざっと何百人という数の人影が見えます。
子ども心に不思議に思い、そのままその群集を眺めていました。
50メートルほどに近付くと、その人たちが幟のようなものを立てて歩いているのが見えました。
まるで葬式の時のよう。
程なく家の前に到着したのですが、私はその人たちの姿を見て驚きました。
皆、白い着物を着ているか、半裸です。
顔や体が捻じ曲がったようないような出で立ちでした。
「これは鬼か死人の群れではなかろうか」
私はすぐに自分の布団に戻り、タオルケットを頭から被りました。
あれは果たして現実だったのか、あるいは夢だったのかは、既に記憶がおぼろげとなって居り、分かりません。
しかし、それが発端となり、その後は幾度となく、同じような夢を観ました。
「亡者の群れ」なのか、「百鬼夜行」なのかは不明ですが、数え切れない数の群集が私の後ろを付いて来る。そんな夢です。
1年のうちに2、3回は同じ夢を観ます。
数年前にその夢を観た時は、私は家人と二人でした。
二人で道を歩いているのですが、ふと後ろを振り返ると、5、6百知イ譴燭箸海蹐紡膩化阿いました。
家人が「あれは何?気持ち悪い」と呟きます。
やはり所々に幟のようなものが見え、鬼のような姿をした亡者たちが歩いて来ます。
ざっと十万人は超えていそう。
「あんな奴らに捕まったら、大変なことになる。急ごう」
二人で先に進むのですが、少しずつ追い付かれ始めました。
間合いが数百辰らいに縮まります。
後ろを見ると、ひとり一人の顔まで鮮明に見えました。
すると、その鬼とも亡者ともつかぬ者たちは、皆、私たちのことを見ていたのです。
「不味い。あいつらは俺たちを追い駆けているのだ」
それからは必死で先を急ぎました。
しかし、どういうわけか足が思うように進まず、ついには2百辰曚匹竜?イ法
その時、前に向き直ると、正面の山の向こうに、巨大な仏さまが立っているのが見えました。
仏さまの周囲には火炎が渦巻いています。
仏さまは、険しい表情をして、私たちの後方を睨んでいました。
その視線を確認した瞬間、私は「あ。これで助かった」と思ったのです。
その後、夢の仏さまが不動明王だということが分かったので、当家ではお不動さまが家の守り神になっています。
その時以後も、夢の中に亡者の群れは、夢に時々現れます。
昨日、そのことを思い浮かべていたのですが、はっと気付きました。
「これって、今の俺の状況だよな」
今は行く先々で、死者が私を見つけ、すり寄って来ます。
皆、私のことが見え、目標として近寄って来るわけです。
「なるほど。かなり昔から暗示されていたわけだな」
不動明王は「衆生を悉く救う」という決意を表したものです。
あの人の姿をした仏さまが実際にいるわけではなく、あくまで理念を示しています。
「迷っている魂が沢山いて、それが助けを求めている。それなら逃げるのではなく向き合わねばならんな」
いつまで逃げていても仕方ありません。
私には亡者を救うことは出来ないのですが、それとなく道案内をすることは出来ます。
かつて猫のトラが私に示したように、「こっちだよ」と連れて行けばよいわけです。
その後は、その者次第で、自ら気付く者は、自我の呪縛から解放されます。
「それなら、今日もまた行こう」
そこで、また湖畔を訪れることにしたのです。
「俺の5メートル以内には寄らない限りは、着いて来れば良い」
そう宣言して、神社に向かいました。
いくつかの神社やお寺には、幽霊たちがあの世に向かう流れがあります。
道のようなものが出来ているので、そこに近付けば、気が付く者は自分で気付きます。
これまで、私は自分のことを「無能で役立たず」だと思って来たのですが、幾らかは役に立つものを持っているのではないかと思います。
たぶんそれが務めのひとつでもあるようです。
画像を見て、「ここにこれが」と印を付けますが、実際には画像は不鮮明でよく分かりません。
姿が見えないのに、どうしてそう言えるのか。
それは、かたちを追ってているのではなく、「声を聴いている」からです。
さしたることは出来ませんが、この後は多少手助けをしていくことにしました。
もちろん、「己を救えるのは己のみ」ですので、ほんの手助けです。
画像はこの日のもの。小雨の後の曇りのときに撮りましたので、鮮明ではありません。