日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎診察室にて

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◎診察室にて
 この日は循環器の検査と診察でした。
 主治医はこの十年診て貰っていますので、気楽に話すことが出来ます。
 しかし、もはや医療で出来ることは限られていますので、大体はブラフかジョークから。
 「調子はどうですか?」
 「いいですね。2、3年前より今のほうが断然いいです」
 すると医師は「そりゃないでしょ」と即答し、モニターを見せました。
 いまや心エコーなどの情報を総合し、心臓のどこに機能不全があるかをマッピングできるようになっているらしい。
 すると、私の心臓の右側部分は真っ青でした。
 (青ってのは、けして『前に進め』ではないよな。)
 やっぱりね。
 ま、今は30メートルも走れません。小走りでも無理。
 でも、立って歩いているし、不満はありませんね。
 もう少し働ければ、なお良いのですが。

 「狭心症心不全は数ヶ月に1度くらい。手足が動かなくなるのは、心臓からだけではなく理由は様々ですが、そっちは月に1、2度ですね」
 今朝も低血糖で動けなくなったばかり。
 普通の血糖障害は高い方を気にするのですが、私は下がる方。
 「まあ、現状維持を心掛けましょう」

 ここで、話を替えます。
 「でも、私はそんなには持たないと思いますね。次の冬を越えるのは難しいです。何せ『お迎え』が近くに来ていますし。今は頻繁に幽霊を見ます」
 この医師が根っから「科学者」だと思うのは、こういう話を無下に否定しないことです。
 「そりゃ興味深いですね。体の異常と、そういう感覚が結び付いていれば、因果関係が分かるかもしれない」
 医師が想定しているのは、脳内の話で、例えば「脳に腫瘍が出来ていることで、幽霊がその場にいるかのような錯覚を覚える」みたいなことです。
 先入観や予断なく「実証してみよう」と発想する姿勢は、私と似ているところがあるので、話が合うわけです。普通は「ないからない」「あるからある」という同語反復を繰り返すだけ。
 この医師と「科学的思考とは何か」を戦わせたら、ひと晩では足りませんね。

 「でも、先生。私は想像や妄想だけでなく、写真にも写るんですよ。現に昨日だって」
 と携帯に手を伸ばします。
 この辺、我ながら見せる気満々です。何せ、ブログとかSNSには絶対に載せられない画像でも、普段、死人を見慣れている心臓医なら、たぶん平気ですね。
 概ね1日以内に消してしまうので、この時が賞味期限スレスレです。
 しかし、病気で死ぬ人と、既に死んだ人では勝手が違うらしく、医師は一瞬、少し退いていました。
 そういう気配はすぐに分かります。
 人間、自分の理解を超えるものが、どうしても否定できないかたちで現れるとパニックを起こしてしまいます。
 そこで、その場で出すのは止めることにしたのです。
 「今度お見せしますからね」
 やはり軽いものからですねえ。

 「どうやら死んでも自我は一定期間残るらしいです。『あの世』は宗教が語っているものとはかなり違いますが、存在しているらしい。私はたぶん実証できると思います」
 医師は「生き死に」の専門家なので、この医師を仲間にできれば、さらに実証に近付くことができます。
 次あたりは、色々と素材を見せることにしました。

 人は自分の理解の範囲から少しでも出ると、「とにかく否定する」ようになってしまいます。
 その辺、人間の頭は、科学的には出来ていません。
 素材の質を考え、医師が受け入れやすいものを選ぶ必要がありそうです。
 とはいえ、サクサクと先に進まないと、私自身の命が尽きてしまいます。