◎ライバルは必要だ
昨日は循環器の定期健診でした。
病院が違うので、普段通うところではなく、本来の主治医のところに行きました。
主治医は当方と同じくらいの年恰好なので、話しやすいです。
「別に何ともないのですが、1月から3月の間に発症すると思います。単なる直感ですけどね」
「じゃあ、ニトロを出しときます」
話が早いのですが、この医師は当方に何が起きているかを全部知っています。
お迎え(死神)が来たことや、デロデロの心霊写真まで全部知っている数人のうちの一人ざんす。
「脚の動脈硬化が進んで来たようです」
「じゃあ、カテーテルやっとく?膝から下は血管が細いから、普通はなかなかやってくれないけどね」
俺ならやってやるぞ、という、半ばは自慢めいた誘いです。
普通、こういう言葉は自意識が鼻に付くものですが、この医師の場合は、そういうのはまったく感じません。
こういうのが「人徳」というヤツらしい。
私の場合は「どこそれで誰と会って来た」という事実を報告するだけで、それを目にした人は「なんだよ。自慢かよ」と感じるらしい(大笑)。
ま、私の心中にある攻撃性を、どことなく感じ取るのだろうけど。それなら仕方ない。
実際、その通りです。
何せ前世では政治家や悪徳商人の首を何百人も切って来ました。
でも、脚とはいえ、手術は手術。
「いきなり言われたって、心の準備がねえ」
「じゃあ、次に検査をやって、それで」
気心が知れているのは有り難いが、やはり「いきなり」だよな。躊躇しますわな。
血管の太いところから入れるだろうから、大腿の付け根からだろうし、またもフルチンになるのかよ。
コイツがいないと、私はこの世にいませんでした。
私の心臓のステントのうち14本くらいは、この人が入れてます。途中、後輩みたいなのにやってもらったら、最初から最後まで激痛だったので、「必ずアンタ自身がやってくれ」と要請してあります。
何と言っても、この医師は当方の書いたものをきちんと読んでますね。
さして面白い話ではないのに、大したもんだ。
多くの人は、読んでもいないのに批評します。
生きているジャンルが違うと、妙に張り合うところはないし、相手をけなすこともないのですが、「コイツの前で、自分を恥じることのないようにしよう」と感じます。
「こういうのがライバルだよな」と思いながら帰って来ました。
この人が心を揺さぶられるような、「生き死に」の話を書こうと改めて決意しました。
生きてゆくのに、ライバルは必要だ。
「コイツに負けまい」と思った瞬間に、「負け犬」ではなくなります。
我ながら「しぶとい」のが持ち味なんだから、どっからでも立て直せよな、と思った次第です。