日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎心霊写真の処理

◎心霊写真の処理
 画像が変な風になった時の対応の仕方について記します。
 前にも書きましたが、画像に写ったことで何か問題が生じるなら、私の場合は既に数十年前に起きてます。
 昔から写真にはゾロゾロ写りますので、もはや「特別なこと」ではなくなってます。

 例えば、凶悪犯の写真を「持っている」ことで何か悪影響があるでしょうか。
 何も生じませんね。写真はただの写真で、それ自体に意味はありません。
 凶悪犯自身と係わり合うかどうかが問題になります。
 凶悪犯本人が関わって来る場合は、写真の有無に関係なく関わって来ます。要するに、画像そのものとは「関係ない」ということです。
 もちろん、お金を得るために、テレビで流したり、ことさら恐怖心を煽るような宣伝をすることは、「利用する」「軽んじる」ことに繋がるので、良くない結果を招くことはあります。
 常に敬意を持つことと、「ここからは入って来るなよ」と線を引くことが重要になります。

 結論は、気になるならご供養すればよいし、そのまま捨てても構わない、ということです。 

 画像に「しるし」を残すのはメッセージで、何かしら訴えたいことがあるからです。
 声をきちんと聞き届けられる者は、今のところほとんどいません。
 耳を傾ける者も少ないので、私のように何ら霊感を持たない者にもメッセージが送られるのだろうと思います。
 でも、それも何ら証明し得ない妄想の域の話です。
 こういう宗教家や霊能者的なロジックを脱しない限り、何ひとつ進展しません。
 あの世を特別なものと見なし、恐ろしいものと捉える。これが従来の考え方ですが、「恐れ」からは何も生まれないのです。
 それに「何か怖ろしいことがある」ような気がするのは、相手のことを知らないからです。
 北朝鮮も、つい最近まで「得体の知れない国」でした。

 あの世の存在(幽霊)は、ひとが恐怖心を抱くと、そこに付け込んで来るので、「別にこんなの普通のこと。どおってことない」と見なして、堂々としているのがよいようです。
 実際、何があろうがなかろうが、起きるのは些細なことだけです。
 私の場合は、鍵が開け難くなる程度です。

 必要なのは、拝んだり恐れたりすることではなく「実証」で、死後に何が起きるのか、確からしいことが知りたいわけです。
 守護霊とか憑依霊とか、宗教家や霊能者の語る御託には、正直もうウンザリです。
 同じところに留まっていても、何ひとつ始まりません。

 実証もあともう少しで手が届きそうで、これまで見聞きしたことは『死の国』という著作にまとめるつもりですが、あちら側からも「やってくれ」と言われている気がします。
 少しでも正確な知識を持っていれば、いざ死んだ時に、執着心に囚われ、闇の中で立ち止まってしまうことなく、霊界に入って行けるわけです。
 必要なのは、「常に前を向くこと」だろうと思います。

 最終結論はひとつ。
 このジャンルでは、「『どってことない』と思い為せば、実際、どってことない」です。