◎ご供養に行く (400)
病院のベッドで寝ている時に閃きました。
「俺に見えるように見られるように姿を現すのは、要するに俺が見えたり聞こえたりするのを察知し、助けを求めているということではないのか」
なるほど。自殺者は暗闇の中にいて、首を吊った人は苦痛を感じながら歩き続けているし、溺死した人は、コールタールみたいな色の海で浮いたり沈んだりしています。
それら総ては、本人が作り出したイメージですが、そのイメージから抜け出ることが出来ないのです。
「もちろん、俺には救えないが、多少なりとも慰めることは出来るかもしれん」
そこで、また有間ダムを訪れることにしました。
この地域では、火曜日は商店が休みです。レストハウスも休みで、閉まっていました。
ま、用事があるのはベンチ周辺です。
まず最初にお焼香をします。
いつも通り、前置きを宣言します。
「俺はあんたを助けることが出来ません。何故なら、今の境遇はあんた自身が作ったものだからだ。それでも慰めることは出来るから、心を込めて話をしよう」
もちろん、相手のことは何ひとつ知りません。
「俺はあんたのことは分からないから、自分の話をする」
そこで、自分自身の昔話をしました。
「俺が小学校に入った時、お袋はまだ元気だった。『まだ』というのは1年生の終わり頃から5年生くらいまでお袋は病院に居たからだ」
入学式の時に、私は母に連れられて、1.5キロ離れた小学校に行きました。
式が終わると、椅子のセットをして記念撮影をするのですが、その段になり、周囲を見回すと、母の姿がありません。
私はこれから1年生になろうとする時なので、十分に状況が分かりません。
「母はきっと先に家に帰ったのだ」と思い込んでしまったのです。
そこで、とるものもとりあえず後を追うことにして、私は小学校を飛び出ました。
家までの道をひたすら走り、ようやく家の中に走り込んだのですが、しかし、そこに母はいませんでした。
母はPTAの用事で、学校のどこかで働いていたのです。
結局、私の思い込みだったわけです。
「で、入学式の記念写真には、俺だけ写っていないんだよ」
小学生の時の母の思い出は、その入学式と、時々、20キロ離れた病院まで見舞いに行ったことだけです。
「そのお袋も1年前に死んでしまった。俺は毎日、お袋のことを思い出しては凹んでいる。俺は無能な上に、お袋に何ひとつ返していないからな」
もちろん、本題はここからです。
「あんたが死んで、家族は毎日、あんたのことを思い出して泣いている。お父さんやお母さんならなおさらだ。娘が先に死んだら、どれだけ嘆いても足りない。もうそろそろ解放してあげるべきだよ。まずは自分自身を許し、あんたの肉親を許し、仲間や友だちを許すとよい。それから、あんたが嫌いだった人や、あんたを憎んでいた人のことも許すんだな。それでその闇から出られる」
これを言葉に出して語り掛けました。
お経や祝詞で追い払うのではなく、対話をすることで、執着心を解きほぐすことが出来ます。
目の前から追い払ったところで、何の解決にもなりません。
映画やドラマの「悪魔祓い」は基本的な間違いを犯しています。追い払うのは、あくまで最終の手段なのです。
まあ、一度ではなかなか伝わらないと思いますので、これから幾度か同じようなことを重ねる必要があります。
写真を撮影すると、概ねきれいになっていました。
うっすらと女性の顔がひとう出ていますが、前回の△僚?のよう。
両眼が眼窩から飛び出ているので、それと分かります。
首が絞まると、圧力が頭にかかり、目玉や舌が出てしまいます。
女性は笑っているように見えるのですが、ご供養が効いてくれたなら嬉しい話です。
「ひとりはすくい上げられた」と思いたいところですね。
なお、やはり笑顔は一層、薄気味悪いです。
今は常々、「出るなら、微笑んで出ろ」と言っているので、「気持ち悪い」は相手に失礼ですが、これは致し方ありません。
帰路は神社に参拝しました。
この日で4百日目となります。4年前には「せめて百回までは生きていよう」と思って始めたのですが、何とかここまで来ました。
ところで、数日前、出掛けに家人に「どこ行くの?」と問われたので、「神社だよ」と答えたのです。
すると家人は「トラちゃんはもういないのに何故行くの?」と重ねて訊きます。
そこでこう答えました。
「俺は思い出に会いに行くんだよ。思い出は無くなったりしないもの」