◎不合理であること
ニーチェは不合理性について、次のように言及している(『不合理性の哲学』)。
「合理性ばかり追求して心の余裕をなくし、人間らしい事柄をも無駄だと見なしていると、結局は人生そのものを台無しにする」
この場合、「人間らしい事柄」とは感情のような理不尽な思いのことらしい。
詳細は避ける。これはニーチェは現状肯定主義者で、学ぶところが少ないから。ひと言で言えばどうでもよい。
この考えを転用して、ドラマの『クリミナルマインド』では、ギデオン捜査官にこう言わせている。
「ニーチェ曰く。不合理とは、何かの存在がありえないことではなく、状況がありえないことだ」
意訳過ぎると言うか、だいぶ違っている。しかし、こっちのほうが使いやすい。
例えば「宇宙人の存在」だ。
「宇宙人は存在するか」という問いには、合理的には「存在する」という答えしかない。
なぜなら、1)地球人が存在する、2)宇宙には何兆個かの星がある、という事実によるものだ。確率論的には「必ず存在する」以外の推論はない。
ところが、宇宙人にはそれとは別の「状況」がある
3)最も近くの星までは30光年の距離がある。これは事実だ。
しかし、4)光速に近い速度で移動出来る手段を人類は持たない。これは状況。
すなわち、地球人が別の星を訪れる可能性、および宇宙人が地球に現れる可能性は著しく低い。現実的ではないことは、存在しないのと同義。こういう理屈だ。
森友問題も同じように考えることが出来る。
総理の威光により、役人が忖度して、森友に便宜を計っていようが、総理夫人が森友を支援し、百万円寄付していようが、それは違法でも何でもない。これが事実関係に基づく判断だ。
ところが、総理夫婦と籠池氏が密接な関係を保ち、そのラインでえこひいき的に便宜が計られた状況が認められるなら、やはり道義にもとる。
総理が私的流用したことと大して変わりない。
すなわち不合理なことが行われているということ。
後からポツポツと夫人の講演ビデオが出てきたりしているが、著しく深い関係にあったことが見て取れる。
どうやら夫人が指示して、財務省を動かし、森友に便宜を計らせたのは、事実のようだ。
この辺、情報を小出しにして、隠し玉を取って置く手法は、籠池氏サイドは非常に上手い。最後に出て来るのは、「百万円を寄付します」の肉声録音テープか。
この事実が確認されれば、総理や夫人の発言が全部嘘だったことになり、そこで衆議院は解散、総選挙となる。
早い段階で、事実関係が明らかであれば、そこで終了していた件なのに、1)財務省が情報を隠し続けていること、2)稲田大臣のウソ発言、3)総理と夫人の対応の不味さ、という「状況」が重なって、事態は非常に悪化している。
ま、1年前の資料を「廃棄した」と財務省が主張した時点で、この件にはよほど不味い事態、不都合な真実、不合理な事実が隠れていることが歴然だ。
すなわち「夫人の指示・要請があり・・・」という事実があるわけだ。
こう言われないには、財務省は担当者個人が所有している資料を出すしかない。
それで問題が片付く。不合理を見過ごしていると、担当者だけでなく、国民の人生を台無しにすることになるのだ。(やや強引)