日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

昔、ここで死んだことがある

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4月19日に、子どもの頃に過ごした家に行きました。
その家は今は倉庫になっており、滅多に訪れることはありません。

その倉庫の向かい側の家の庭に、大きな庭石があります。
中学1年くらいのときに、この石の夢を観ました。
それはこんな内容です。

長い旅を経て、ようやく姫神山の西の登山口に着いた。
姫神山は霊場で、沢山の山伏たちが修行している。
「あと少しで道場に着く」
そう思うのですが、病気に罹っているらしく、体が動きません。

そこで道を外れ、畑の中の石の傍に腰を下ろしました。
そのまま、石に背を預けているうちに、力が抜け、私はその場に崩れ落ちました。
すぐに視点が切り替わり、石の前で倒れている男を見下ろします。
「ああ。この人は死ぬんだな」
近くの家の人が出て来て、石の脇で倒れている修験者を発見しました。
どうにも仕方が無いので、その石の傍らにその修験者を埋めることにしました。
その様子をじっと見ている。そんな夢でした。

この夢が余りにもリアルだったので、目が覚めるとすぐに、母に「こんな夢を観た」と伝えました。
その日の夕方になり、母はたまたまその家の人と会ったので、その人に「うちの息子がこんなことを言っていた」と話したのです。
すると、その人は、すぐさま「息子さんを家に寄こしてください」と答えたのです。
そこで、翌日、私がその家に行くと、そこの人が石まで私を案内しました。
「あなたが観た夢は正夢で、昔、ここで本当に行き倒れがあり、修験者を弔ったのです」
そこで、その場でお焼香を済ませました。

それから15年以上後になり、色々と考えがたいトラブルが続いたので、思い余って、霊感教会を訪れました。何かしら助言が欲しかったのです。
すると、そこの先生は、開口一番でこう言いました。
「あなたは、昔は修験者で、旅の途中で行き倒れになって死んだことがある」
なるほど。
あの石のことを鮮明に記憶していたのも当たり前で、そこで死んだ修験者は私自身だったのです。

(1人が順々に1人に生まれ替わる訳ではないのですが、長くなりますので、ここでその説明は控えます。)

画像の奥にある石がその石です。
昔はもっと大きく感じていたのに、今は小さく感じます。