◎見えるらしい
同じ病棟の左隣は40歳くらいのオヤジで、右隣は30歳台前半の女性だ。
この病棟で、若い方から数えて、1、2、3番目が同じコーナーに並んでいる。
当方は若い方から3番目で、他の患者は概ね60歳台後半以降だろう。
たぶん、3人はまだ若いのに多臓器不全症だから、同じところに置かれているのだろうと思う。
左右隣の患者とも、一般の日本人はたぶん一度も聞いたことの無い病名が発端で、そこから色んな臓器に疾患が及んでいる。
ま、多くの場合、薬の副作用からどんどん病気が増えて行く。
女性の方も、片目を失明したり、常に熱が38度あったりとしんどそうだが、オヤジの方もかなりイッていて、2日で体重が6キロくらい増える。もはや飲んだり食ったりしても、スンナリ排出出来ない状態だということだ。時々、救急搬送で埼玉西部で一番大きな病院に運ばれたりするから、ま、「老後の不安」は感じずに済む。たぶん、老後など存在しない。
一時は当方が最も先頭に立っていたと思うが(あの世への)、今はそのオヤジが最先端で、次が女性だろう。
ちなみに、ベッドが隣になっても、それぞれ自分のことで精一杯だから、交流はほとんど無く、「こんにちは」と挨拶をするくらい。もちろん、名前は知らないし、聞いても憶えないし憶えられない。
正直なところ、オヤジの方は1年もたないだろうし、女性も1年か2年が良いところ。
この病棟の患者平均の5年生存率は20%程度だから、当方を含め「それくらいなら別にフツー」だろうと思う。
看護師や医師とその2人が話す内容は、隣にいるだけによく聞こえる。
オヤジの方は、地元の資産家の息子で仕事はしていないが、長患いのせいか、精神状態がおかしくなってきているらしい。
これも専門医に掛かっているとのこと。
今日のオヤジは「最近、幻聴が聴こえるし、幻覚も見るようになった」と言っていた。
隣で聞いていて、「それが幻聴や幻覚という自覚があるのなら、まだ大丈夫だよ」と言いそうになったが、さすがに黙っていた。他人のことには極力関わらぬのが、この病棟の掟だ。
たぶん、「誰も居ない筈の隣の部屋で人の声が聞こえた」や「庭を見知らぬ人が歩き去った」ような気がするというもの。
それが現実ではなく「気がしているのだ」と自覚できるから、幻聴や幻覚だと分かる。
そういう判断がつく間はまだ大丈夫で、あと3ヶ月くらいは死なないと思う。
重篤な病気に罹っていなくとも、色んなものが聴こえ、見えることがあるが、その多くは加齢によるものだ。高齢者は大脳が弱って来ると、夢と現実の区別がつかなくなる。
病気で見える幻聴・幻覚は、例えばシャブをやったりしたときに見えるヤツと同じだろうと思うが(推測です)、老化で見え始めるのは「妄想」だ。あくまで自分の想像が生み出したイメージで、それと現実との境目が無くなって行く。
経路は違うが、病人の幻聴・幻覚も、年寄りの妄想も、行き着くところは同じだ。
死が目前に迫って来ると、幻覚や妄想のリアリティが急激に高まり、聞いたような・見たような「気がした」という次元ではなくなって行く。
死神や悪霊がすぐ目の前に立っているし、口を開いて話すさまが詳細に見えている。
これが現実でなくて何?
でも、ここまでは、たぶん、本人の脳が作り出したイメージだろう。
だが、本番はそれからだ。
死期がすぐ目前に迫ると、患者本人の目に様々なものが映るだけではなく、その当人の近くにいる者も、同じものを見てしまうことがある。
患者本人と一緒になって、死神を見てしまうわけだ。
付き添いの家族は病人ではないのだから、それは妄想や幻覚ではなく、「現に見ている」という意味だ。
「誰の耳にも聴こえ、誰も見ることが出来る」のなら、そのものが「存在する」とみなすのが科学的思考法の根本だ。
理性で解決できない問題に直面するのが、死に間際なら、ほとんど対処のしようがないと思う。
さらには、困ったことに、自分がその立場に立ってみないと知り得ないことだから、既存の知識では太刀打ち出来ない。
頭で作り出す知的生産物は、宗教を含め、何の力も持ち得ないと思う。