◎夢の話 第657夜 駅
29日の午前5時に観た夢です。
俺は駅が嫌いだ。
人込みの中に入ると、具合が悪くなってしまうこともあるが、人だかりの中には決まって人ではないものが混じっているからだ。
朝のラッシュ時が一番多いのだが、仕事や学校に急ぐ人の中に、生きている人間では無いものが紛れ込んでいることがある。
学生時代、徹夜麻雀を終えて早朝の駅のベンチに座っていると、時々そんなヤツに出くわした。
こちらは疲れ果てているものだから、少しでも混雑が引いたら車両に乗り込もうと思っているのに、来る車両来る車両に人がぎっしり詰まっている。
仕方なくそのままベンチに座り、通り過ぎる人々を眺めていると、おかしなことに気付くのだ。
「ありゃ。あの人はさっきも前を通って行かなかったか」
赤いレインコートを着た女が眉間に皺を寄せて、俺の前を通り過ぎた。
つい五分くらい前に通り過ぎたのと同じ人なのに、またその同じ女が前を通る。
「見間違いではないよな。あの頬の黒子は、前に俺が付き合っていた女にそっくりだもの」
その女は俺の元カノに少し似ていたから、何となく覚えていたのだ。
だが、ここは都心の駅だし、朝なら何万人もが乗り降りする。
似た格好をした人も通れば、その人にたまたま俺の彼女と同じ場所に黒子があっても不思議じゃない。
だが、その考えはすぐに打ち消された。
同じ女がまたもや俺の前を通り過ぎたからだ。
「さっき、あの女は俺の右側から来て、左に去った。左の先はもはやホームの端で、乗降口や乗換え階段は無い。もし俺に気づかれないように右に回るとするなら、一旦電車に乗り、隣の駅に行き、そこから逆方向の電車に乗って戻って来て、ホームの右の方に降りて歩いて来る。それしかないが、それは5分じゃ出来ないよな」
どうにも嫌な感じだよな。もやもやと胸の中に霧が立ち込めた。
その時以来、俺は駅に行くと、行き来する人々のことを詳細に観察するようになった。
すると、あの赤いコートの女みたいに、同じヤツが何度も同じ場所にいることを発見した。
眼鏡をかけた勤め人風のオヤジは、午前7時15分にいつもホームの北の端に立っている。だが、電車が来ても、それには乗らない。
「電車に乗らぬのに、何故駅に来てるんだろ」
そう思って、そのオヤジのことを見詰めていると、ある一瞬で、そのオヤジの姿がふっと消える。
これが7時24分だ。これが毎日繰り返される。
いつもこのオヤジは9分間だけ、そのホームの端に立っていることになる。
「何で毎日あそこに立っているのか。それにどうやってあそこからいなくなるのだろ」
でも、俺はその答えが何となく分かる。
あのオヤジは7時15分にあの場所に来て、24分の電車が着いた時に線路に飛び込んだんだな。そして今ではそれを毎日繰り返しているわけだ。
「そうなると、他にも同じような『もはやこの世の人ではない者たち』がここには出入りしているわけだ」
しかもあちこちにワンサカいるじゃないか。
俺が駅を極力避けるようになったのはそれからだ。
あいつらのモノトーンの顔色を見ると、気分が悪くなる。
街角にも同じのがいるわけだが、しかし、駅ほどではない。
駅の中なら、数分ごとにそんな感じの生気の無い無表情な顔に出くわしてしまう
どうしても電車に乗らねばならないときもあるわけだが、そういう時、俺はなるべくそいつらを見ないようにすることにした。
あいつらが視野に入っても、見えない振りをして下を向いているわけだ。
接触を避けていれば、なあに、都会に住むごく普通の人々と同じだ。
皆が自分のことだけを考え、自分と係わりのある少数の人の他は、まるで「存在しない」かのように無視して暮らしている。
それが証拠に、女性たちは電車の中で平気で化粧をしているし、女子高生なんぞ、電車の中で着替えをしたりもしている。
まるで目の前の男たちが、この世に存在していないかのような振る舞いだ。
「ま、こいつらにとって男は、これから会う同年輩の彼氏だけなのだろうけどな」
それと同じように、雑踏の中で何かを見たところで、気づかぬ振りをしていれば、きっと大丈夫。
腹を決めて、俺は駅に向かった。
「俺の最も苦手な時間帯じゃないし、まあ、乗り切れるだろ」
理由はないが、スムーズに行けそうな気がする。
俺は改札を通り、ホームに上がった。
電車が来るのは3分後だ。
ホームには4、50人ほどが立っている。
目の前にはベンチが空いていたから、俺はそれに座った。
何気なく、周囲を見渡すが、別段、変わったところは無い。
「このまま、下を向いて、他の人たちに興味を持たなければ大丈夫だろうな」
ふふ。俺って大丈夫じゃん。
アナウンスが入り、遠くの方に電車が入って来るのが見えて来た。
そこで俺は立ち上がって、乗降口に向かおうとした。
すると、そこに男が立っていた。
男は線路側に背中を向けて、内側のほうを向いていたのだ。
男は中年で、背広を着ているが、ネクタイはしていなかった。
俺はその男の正面に立ち、無意識に男の顔を見た。
すると、男が俺の目を見返して来た。
二人の視線が正面から交差した。
男が口を開く。
「あんた。俺のことが見えるのか」
見えるのかって、そのことに何の不自然な意味があるんだよ。
だが、俺はここではっと気づいた。
「それって、普段は誰もこの人に気づいてくれないって意味だよな」
すると、その瞬間に、その時、ホームに立っていた人々のうちの十数人かが、一斉に振り向いて、俺のことを見た。
ここで覚醒。
次の瞬間には、夢の中の『俺』の前には、十幾つもの幽霊がわあっと集まって来る。
そんな夢でした。