日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第944夜 駅ビル

◎夢の話 第944夜 駅ビル

 十七日の午前四時に観た夢です。

 

 我に返ると、喫茶店らしき店の席に座っていた。

 「あれ。俺はいったいどうしていたのだろう」

 この店に入り、空いたテーブルの席に座ったところまでは憶えているが・・・。

 店の中を見回すと、総ての席が埋まっていた。

 大きな窓の外は道路になっているが、左右に行きかう通行人がひっきりなしに通る。

 反対側は曇りガラスで、その先はビルの通路だ。おそらく雑居ビルだろ。

 曇りガラスの向こうに人影が見える。

 

 「俺は何をしにここに来たのだろう」

 しばし考えてみるが、まったく思い出せない。

 「とりあえずトイレに行こう」

 荷物を椅子に置き、立ち上がる。

 スマホをどうするか考えたが、そのままカバンに入れて置くことにした。

 

 廊下に出ると、やはりここは雑居ビルで、店の看板が沢山並んでいた。

 ラーメン店から小物を売る店まで様々な店舗だった。

 まるで中野の※※※ウェイみたい。

 廊下の両側に、順番待ちをする客が行列を作っている。間を通るのに体を傾けねばならぬほど沢山の人だった。

 切れ目が見当たらない。

 人を描き分けるように進んで行くと、階段が見えた。

 「確かこの上にトイレがあるんだったな」

 前回ここに来た時に場所は確認してある。

 ここでふと気づく。

 「前回だと?俺はあれからずっとここにいるじゃないか」

 家に帰ってはいなかったのだ。

 

 「考えるのは後にして、とりあえずトイレだ」

 そこでトイレのドアを押して、中に入ってみた。

 すると、そこは駅のホームだった。すぐ目の前に線路が見える。

 左右を見ると、ここも人で一杯だ。身動きするのも難しいくらいにぎっしりと人が立っていた。

 ジリジリジリとベルが鳴る。

 「いつもここから電車に乗って旅に出るんだったな」

 ここは上野みたいな駅で、千葉みたいなところから、茨城、福島みたいな景色を眺めつつ北に向かう。

 いつも通りの展開だ。

 「でも、逆方向に向かえば、女房や子どもたちのいる家がある。そろそろ家に帰りたいよな」

 毎度毎度家から遠ざかるばかりなので、子どもらが父親の顔を忘れてしまったかもしれん。

 

 ここで総てのことを思い出した。

 「ははあん。これは夢じゃないか。これは前回ここに来た夢の続きだ。あれはひと月以上前のことなのに、俺はずっとあの店に留まっていたわけだ」

 おまけに、これはただの夢ではないし。

 「ここはあの世の一丁目だ。死が近くなると、トンネルや暗い峠道に入って行く。だが、トンネルや峠はひとの心象が生み出したものだから、その者によって違って見える。俺の場合は、この鉄道がトンネルなんだな」

 もちろん、俺はまだ生きている。電車に乗ってどこかに行こうとするのだが、目的の駅に降り立ったことはない。

 「駅に降り立てば、そこがあの世の本番だから、もう戻っては来られなくなる」

 ということは、今やるべきことはひとつ。

 「反対側のホームに行き、家に帰る電車に乗ろう」

 

 俺はホームを歩き、階段口に向かう。

 その途中で、電車が入って来た。もちろん、「あの世行き」の電車だ。

 ドアが開くと、そこから出てくる者はなく、幾人かが中に乗り込んで行く。

 だが、その場に茫然と佇んでいる者の方がはるかに多い。

 それを見て、俺は思わず足を止めた。

 「電車を待っていただろうに、何で乗らないのだろう」

 そこでそこにいる群衆の顔を一つひとつ眺めて行くと、どの者の視線もあらぬ方を向いていた。ぶつぶつと何事かを唱えつつ、自分の世界に浸っている。

 「なるほど。この人たちには目の前の電車が見えていないのだ」

 もはや死んでいるのだが、そのことを理解できない者がいる。

 「しかも、町中のあらゆる場所に溢れ返るほどの数だ」

 

 再び歩き始め、人の間を縫うように前に進むと、途中で幾人かが俺に目を留めた。

 もちろん、ごく少数だ。このホームには何千人か、あるいは何万人の死者が立っているが、そのうちの四五人だ。

 すぐ近くにいたのは高校生くらいの少女だ。俺の眼を見ると、すぐに声を掛けて来た。

 「あのう。ここはどこなんですか。どうすればここから出られるの?」

 すると、その後ろの方から、老人が近寄って来る。

 「ああ良かった。ようやく話せる人が来た。ここの人は誰一人返事をしてくれない」

 この三人が話をする声を聞き留め、こっちに近寄ろうとする者が周囲に見える。

 

 結局、俺の周りに集まったのは五人だった。

 そこで俺は皆に話をすることにした。

 「まずここがどこかを説明すると、ここはあの世の入り口になります。皆さんは恐らく全国どこかの場所で死に瀕している。心臓はもう止まっているかもしれない。でも、まだ戻れます。自分の眼でものを見て、自分の耳で聞いていますから」

 「どうすれば元に戻れるんだい?」と老人が訊く。

 「簡単ですよ。地下道を通って、向かい側のホームで逆方向の電車に乗ればいいのです」

 「え。ここは駅なの?」と女子高生が声を上げる。

 どうやら、この子はもはやぎりぎりのところまで来ているらしい。程なく階段口が塞がれ、この子は戻れなくなる。

 「じゃあ、皆さんは手を繋いで私の後をついて来てください。絶対に離してはダメですよ」

 

 俺が先頭に立ち、ホームの階段を降り、地下通路を通って反対側に出た。

 「次の電車で戻りましょう。とりあえずひと安心です」

 皆の顔に安堵の表情が浮かぶ。

 ここで老人が再び口を開く。

 「ねえ、どうしてあんたはそんなに落ち着いているんだい。ここはもうあの世のうちなんだろ?」

 「ああ。ここにはいつも来てるんですよ。時々、この駅で電車に乗り、旅をするのですが、目的地に着いたことがない。いつも知らぬ間に戻っているのです。ま、幾度か心臓が止まったことがあるので、敷居が低くなり、頻繁にあっちとこっちを行き来しているらしいです」

 

 ここで女子高生が声を上げた。皆が顔を向けると、その子は反対側のホームを指さしている。

 「さっきはあんなに人がいたのに、今は・・・」

 この子の眼には、向かい側のホームに人が一人も立っていないように見えている。

 きっと、他の者も同じことだ。

 「こっちはこの世のうちで、あっちはあの世。お互いに反対側のことはほとんど見えないから、ここに来れば向こうのホームが見えなくなる」

 だが、俺の眼には、さっきまでと同じように山盛りの人であふれているように見えていた。俺はこの世あの世の両方に跨る者だから、それも当然だ。

 言葉を替えれば、俺は「もう半ばは死んでいる者」だということだ。

 ジリジリジリとチャイムが鳴り、そこで覚醒。

 

 ひと月以上前の夢の続きだが、あれからずっと同じテーブルに就いていたらしい。

 いつも電車に乗って旅をする夢を観るのだが、何故こういう夢ばかり観るのかということの答えは見えた。

 

 ところで、「ジリジリジリとチャイムが鳴り」と書いたところで、当家の受話器が「チリ」と音を立てた。二つ目の受話器は回線と繋がっていないのだが、たまに何かを受信する。

 ま、通常は電気的な何かの反応だろうが、「いつか母と話せるかもしれぬ」と思い、そのままにしている。