日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

扉を叩く音(続)

「毎年、秋から冬にかけて、深夜、玄関の扉を叩く音が聞こえる」話の続きです。

今回はまことに嫌な報告をしなくてはならないようです。
例年、深夜のノックは十月から長くとも三月くらいまで。
春から夏にかけては、平穏無事な日々が続き、ゆっくり寝られます。

4月4日 午後4時の記録。
居間で寝そべっていると、二階からゴトゴトと足音が響きました。
位置から見て、廊下を歩く音です。
妻の部屋から、廊下に出て、私の仕事部屋の方に歩いて行きました。
妻も娘たちも仕事で、二階には誰もいません。

息子が隣の部屋にいて、間の襖が開いていました。
そこで息子に訊ねます。
「お前。今の音が聞こえたか?」
「うん」
やはり聞こえていたのか。
ま、こういうのは教えない方が無難です。
耳を欹て、目を配るようになると、どんどん感じ取れるようになってしまいます。
「今日は風が強いからなあ」
窓を開けているわけではないので、風が廊下に吹き込むことは無いのですが。

そろそろ、また次の段階に進んでしまったのかもしれません。
「次の段階」とは、あちら側の「多くの存在」が「ここに私がいることに気がつく」段階のことです。
相手の存在が分かるのであれば、どんどん働きかけて来られるようになってしまいます。
これまでは、「たまに気がつかれてしまう」程度でした。

嫌な話はここから。
居間に降りてくる直前まで、私は妻の部屋で2時間ほど仮眠を取っていました。
その直後、足音が妻の部屋から出て来たということは、「そいつは、ついさっきまで、私と一緒に妻の部屋にいた」という意味です。
私の隣で、寄り添うように横になっていた気がします。

世間の怪談と違う点は、それでも「まったく平気」だということ。
幽界の霊はどこにでもいるし、そこにいるからといって、特段何かが出来るわけではありません。
生きている者は、自我と肉体の壁で守られているので、自ら近づいたり、極端に怖れて相手と波長を合わせぬ限り、ほとんど影響は生じません。

あともう少し修行をすると、浄霊が出来るようになる可能性があります。
その場を綺麗にするのには、お経もまじないも必要ありません。