◎扉を叩く音(続)
「毎年、十月から三月にかけて、深夜、玄関の扉を叩く音が聞こえる」話の続きです。
今では、玄関口だけでなく、家の中にも入って来ますので、題名が現状にそぐわないのですが、ひとまずそのままとしました。
5月17日午前1時の記録。
居間に座っていると、2階の中央の部屋で、「ドン」という音が響いた。
ベッドから勢いをつけて飛び下りたような音だ。
その部屋は、娘の部屋で、普段は誰もいない。
「ま、気のせいか」
この冬は、散々寄られたので、どれもこれも「悪霊のしわざ」に見えるようになっていた。
しかし、錯覚があり、思い込みがありと、多くは「気のせい」によるものだ。
そんな中に、本物、すなわち「どうやっても説明のつかない」ものが混じっているから、余計に始末が悪い。
しかし、居間の隣の部屋で眠っていた息子が、急に呻き出した。
「ううう」
息子は仕切り襖を開けたまま寝ていたが、目を覚まし、隣の部屋に父親がいるのを一瞥すると、父親の近くに移動して、また眠った。部屋の端から反対側の端まで移動したわけだ。
これで安心したのか、深い眠りに戻れた模様。
息子は時々、悪夢にうなされているから、かつての父親に起きたことと同じことが起きているのかもしれん。
ひとつ一つの出来事は「たまたま」の産物だ。よくありがちな出来事なのだが、タイミングがピタリと重なっているから、少し考えさせられる。
でもま、息子にとって幸運なのは、すぐ身近に「そんなのは気のせいだ」と切り捨てたりしない者がいることだ。もちろん、反対に何でもかんでも「霊のせい」にすることもない。
説明のつかない現象は、実際にはごく僅かで、一見そんなように見える出来事の1%にも満たない。
だが、「存在している」ことには疑いがない。
すぐ脇に「立たれる」ことは、ほとんど無くなったが、2階の物音は頻繁に響く。
「自分の存在を知ってほしい」という思いが強いのだろう。
まさに「踏み鳴らす」という表現が相応しい大きな音だ。
この足音を一度でも聞けば、「総ては自然現象に過ぎず、そんな気がしただけ」という考えなど一発で吹き飛ぶ。
このまま、収束して、ほとんど何も聞こえない日が来てくれると、そうでなくとも限られた時間をより有効に使えるようになると思う。
今はもうとにかくウンザリ。