日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎海が怖い

◎海が怖い
 明日から数日間、東北地方に行きます。
 元々の目的は、ある博物館に自身のコレクションを寄贈することだったのですが、整理が間に合わず、寄贈自体は来月に延期になりました。
 このため旅行をひと月延ばしても良いのですが、既に先方の病院に予約を入れてあります。
 せっかくなので、心身のリハビリを兼ねて、ゆっくり移動することにしました。

 車移動で、海岸線を北上するつもりですが、私の状態では、明日の午前中に出発して、現地に着くのは明後日の朝になりそうです。
 ま、運転する時間より、休んだり、見物している時間の方が長いわけです。
 疲れたら、旅館に泊まろうと思いますが、週末に重なりますので、飛び込みで部屋が取れるかどうか。
 ま、寝袋や毛布でも平気です。

 しかし、少し緊張もしています。
 最近、特に顕著なのですが、海の近くに行く度に、冷や汗を掻くような出来事が起きます。
 カーナビが誤作動して、崖に誘導されるくらいは何ともありませんが、やはり、「あの世」の住人は水の傍にいることが多いです。
 昨年の伊豆にせよ、数ヶ月前の三陸にせよ、「説明のつかない」出来事が起きているのですが、このブログを読んでおられる方はお分かりの通り、私の場合、体験談だけでなく、画像にも残ってしまいます。

 嵐のように、悪縁に「寄られる」時には、気が動転しているので、何でもかんでも悪縁に見えてしまい、私自身の目に映ったことも、3、4割は「錯覚」や「気のせい」によります。
 しかし、どう眺めても「気のせい」とは言えない出来事も混じっているのですが、それが起きるのは、概ね海や湖の近くです。
 相手が誰か、または何かが分からないのに、恐れていても仕方がないので、普通に振舞いますが、気配りを忘れないようにはするつもりです。

 人間、一度経験すると「慣れてしまう」ものらしく、ちょっとやそっとの悪縁には、もはや何とも思わなくなっています。
 悪縁が寄ると、無用に人生を短く詰められてしまったりしますので、かわしたりすかしたりすることや、寄せ付けないための手立てに習熟すると、人生に絶望せずに済みます。

 ところで、20年以上前、家族で海に行った際に、岬にある展望食堂に入ったのですが、入るとすぐに1歳の息子が泣き出しました。
 どんなに宥めても、身をよじって泣き叫ぶのです。
 窓側の席に座ったのですが、それこそ「熱した火箸を押し付けられたように」泣きます。
 私も、店に入った瞬間に、「ここはどこか気持ち悪いな」と思っていたので、そそくさと食事を済ませ、店を出ることにしました。
 その後でおきた出来事については、前に書いたと思いますので省略しますが、店を出て車を発進させると、息子がピタッと泣き止みました。
 ま、短く言うと、ガラス窓の外に「何か」が立っていたのです。

 当時は半信半疑でしたが、 今ではその手のことには慣れました。もし、そういう場所に近付いたら、足を踏み入れずにその場を離れると思いますね。
 悪縁には関わりを持たないこと、悪縁を自ら呼び込まないことが肝要です

 面白いのは、こういう感覚は「ひとを選んで起きる」ので、係わりの無い人にはまったく何も起きないことです。昨年、私はかつてのその幽霊食堂の前を車で通ったのですが、今もごく普通に営業していました。
 「そんなものはない」「悪縁(霊)など存在しない」という考えは、実は一部のひとには正しくて、それが起きない人にはまったく何も起きません。
 現実に起きないし、視野にも入っていないのですから、想定する必要はありません。
 でも、死ぬと、そういうひとも他のひとと同じように幽霊になり、霊界に還流していくことになります。
 その時、初めて想定外のことが起きるわけですが、そこでどうするかは当事者の問題です。 

 これまでのことを考えると、私は「サイレンを鳴らしながら走っている」のと同じ状態なので、やはりどんどん先方から寄って来られると思いますね。
 皆が一様に「助けてください」と叫びます。
 正直、煩くて堪りません。

 今回、ルーターなどは持参しない予定です。
 携帯もバッグに仕舞い、なるべくネットに繋がない時を送ります。
 原稿も書きません。