日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「夢の話 第1K48夜」の翌日になって

◎「夢の話 第1K48夜」の翌日になって

 このひと月に起きた不審事は概ね次の通り。

1)スマホ音声認識のスイッチこそ入っていたが、何も声を掛けていないのに、勝手に「憑いた、憑いた」と話したこと。三日間に渡り続いた。

2)午前三時頃に、娘たちの部屋の中を何者かが歩き、小物を床に落としたこと。

そして昨日の出来事はこれ。

3)回線の繋がっていない電話から通話信号が出たこと。(久々に出た。)

4)誰もいない隣家の工事現場で、鉄板が倒れたこと。

 今にして思えば、これら全部が実は繋がっていたのではないかと思う。

(実際に体験すると、一つひとつがもの凄く気味悪い。)

 

 昨夜、私が「お師匠さま」と呼ぶ短髪の男が夢に出たのだが、翌朝からは、階段を三段一度に上がるように楽になった。

 帰路はスーパーに寄り、屋上へ階段で上がれたほどだ(もちろん、しんどいが放棄せず上がれた)。

 鉄板の音は「腹立ち紛れ」の行為だったような気がする。

 

 一時的なものかもしれぬが、昨秋拾った悪縁のひとつが「離れた」と思う。

 これには「お師匠さま」以外の要因はない。 

 このジャンルでは、起きる者には想定外のことがどんどん起きるが、起きぬ者にはまったく起きないから、自分でも「俄かには信じられぬ話」だと思う。

 「お師匠さま」は折々にヒントをくれるが、手を出して助けてはくれない。あくまで自助が基本だ。

 人の苦しみは殆どが現性欲・現世利益に関わっているから、多くの場合、「助ける」はその欲を満たしいてくれるということだ。

 そういうのは到底、「善霊」ではないから、世間で言う「守護霊」みたいな存在はない。簡単に手を出して助けてくれるのは、むしろ悪縁のほうだ。

 

 総ての起点は、昨秋、うっかり「冒してはならぬ村社」のエリア内に足を踏み入れてしまい、悪縁に寄り憑かれた時から始まったことだ。

 正直、「一気にあの世に持っていかれずに良かった」と思う。

 もちろん、相撲で言えば、徳俵から「踵半分だけ土俵内に戻った」と言う程度だ。

 今回ばかりは往生した。