日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎扉を叩く音(続) この世のツケ

◎扉を叩く音(続) この世のツケ

 毎年、「秋から冬にかけて、深夜、玄関の扉を叩く音が聞こえる」話の続きです。

 

 11日の午前2時の記録。

 居間で横になり、そのまま寝込んでしまった。

 眠っていると、玄関のドアが「コツコツ」と音を立てた。

 すぐに眼を覚まし、起き上がると、隣の部屋で寝ていた息子が「ううう」と呻いている。

 息子は父親に似たところがあり、第六感が勝っているようだ。

 音は一度だけで、その後は何もなし。

 今は平気なので、見に行こうかと思ったが、こういう時にドアを開けるのは「招き入れる」ことなので禁忌事項になる。

 「ま、また元に戻ったということだ」

 最近は家の中に入っているふしがあったから、外ならまったく問題なし。

 

 もはや20年もこの音を聞き続けている。

 最近になり分かったことは、いわゆる「通り道」が「家の裏から前の道路に抜けている」のではなく、「道路から裏の家に向かって流れている」ことだ。

 数日前に買い物から帰り、家に近付いたら、玄関の前の道路に人だかりがしていた。

 「何か」と思い近付くと、大柄な男が倒れており、その男を囲んで人が集まっていたのだ。

 事情を聞くと、その男はその場所で躓いて転び、どこかを打って動けなくなったらしい。

 身長が190センチはあるし、恰幅もいいから、転倒すればそういうこともある。

 「救急車を呼びますか」と訊ねると、「すぐ近くの接骨院に連絡したから、車椅子を持って来てくれるところだ」との答えだった。

 そこは平坦な場所で、躓く理由がない。

 しかし、他の人にとっては「理由が見当たらない」話でも、当家では「なるほど」と思う。

 そこは「何か」が沢山横切っているから、人によっては影響が出る場合もある。

 

 「なあるほどね。あんまり度重なるようなら大祓が必要になるかも」

 と思い浮かんだが、「ところで大祓って何?」と自問した。

 年越しの時くらいしか知らないが、調べたら、御祓で季節は関係なく行われるとのこと。

 「通り道」を忌避して、「あの世」の住人を遠ざけようとするのではなく、敬意を示し、円滑に通って貰うようにすれば、逆にこの周囲一帯が「強く」なると思う。

 長い間、怖れ、遠ざかろうとして来たわけだが、その発想がまったく逆だった。

仲良くする、もしくは道を譲ることで、「あの世」での安寧に近付く。

 開運とか現世利益とは関係ない。そんなことよりもはるかに有益だと思う。

 何せ、「この世」と「あの世」はツートラックで、「この世」のツケは「あの世」で払う。常に帳尻が合うように出来ているのだ。