日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎平常心を取り戻す(340)

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◎平常心を取り戻す(340)
 母の49日を過ぎたので、高麗神社に参拝しました。
 こちらには1年に70~百回くらい参拝しますので、鳥居を潜った瞬間に「帰って来た」気がします。
 心を整えるには、信仰を柱にするのが一番で、スッと楽になります。とはいえ、私の場合は一般の考えるような「神(人格神)は存在せず、霊性のみを認めるものではあります。
 
 神社猫のトラはきっと私のことを忘れているだろうと思っていたのですが、遠くから私を認めると急いで走り寄って来ました。もう15歳くらいなので、「走る」というより「よろける」感じです。
 おやつを食べるところを見ていると、やはり膝に乗って来ました。
 そこで「お前というババア猫がどんなにすばらしいところを持っているか」を懇々と話します。
 傍で人が聞いていたら、少し恥ずかしい。
 ペットを飼っている人は分かると思いますが、話しかけている途中で、まるで人の言葉が分かるような反応を始め、ひと言ごとに「ニュアア」「ニャア」と返事をしました。
 一時間ほど話をし、当方が寒さにやられる寸前で別れました。トラは予期していたのか、途中から爪を立てるので困りました。
 出口のところまでついて来られると、若かりし頃の女子との別れ際の時を思い出します(ホントか)。

 気がついたら、それまでのザワザワした気持ちが雲散霧消していました。やはり、「よく生きる」ためには、これが必要です。

 神殿の前で、手を合わせる前に撮影すると、その場には私一人しかいないのに、モヤモヤと気配が映ります。
 今や「どこかで拾って来ては、神社やお寺に離す」というのは、もはや特技になった模様です。
 既に視覚に頼らずとも、「気」「気配」が分かるようになって来ました。
 母なら嬉しかったのですが、別の人です。